草木も眠る、丑三つ時。 彼女はふらふらとした足取りで、友人の部屋を訪れる。 恐らく、心配でずっと起きていたのだろう。その友人は、少し焦ったような、少し安心したような微妙な表情を浮かべて迎え入れた。 「…………」 「なにか、いやなことでもされたんか?」 「…………」 「……なぁ、かさちー。どないしてん?」 “紡ぐ”ことは、それ自体が繊細な行為だ。直接聞くのは、少し躊躇われる。 けれど、悲しんでいるとも違う。嬉しがっているのとも違う。 『付き合いの長い友人が、知らない顔を浮かべている』 そんな事実が、彼女の口を突き動かしていた。 「うちに、教えてくれへん?」 「うん……ちょっと」 「ちょっと、ゆーても。それじゃわからへんよ?」 「うん……ちょっと」 「せやから、それじゃわからんて」 「うん……ちょっと」 「…………」 そうやって同じ言葉を繰り返すつもりなら、と質問をかえる。 「『うん、ちょっと』って、『寝うんこ漏らしました』って意味か?」 「うん……ちょっと」 「うわー、えんがちょやー」 「…………って、え!? い、いま何か変なこと言いませんでした!?」 「うん、ちょっと」 「ひ、ひどいですよ、とーかちゃんっ! 変な質問は禁止ですっ!」 「えー? ひどいゆーたかて。かさちーこそ、うちの話ぜんぜん聞いてへんやん」 ようやく、いつもの調子を取り戻してくれた友人―――かさねの反応に、ひとまず悪いことがなかったことを確信してホッとする。 「うぅ……ごめんなさい、とうかちゃん。別に無視していたわけじゃなくて―――」 「えーてえーて。初めての紡ぎやもんなぁ。いつもしっかりしてはるかさちーが、そないにボンヤリしてまうよーなことがあったんやろ?」 「う、うん、まぁ」 「んと……言えへんよーなこと?」 「そんなことはっ」 「じゃあ、なにしたん? 最初は?」 「最初? えと……ご挨拶してから、お身体を揉んで……」 「おー、いきなりかいな。かさちーの按摩、気持ちえーもんなぁ。どんな反応やった?」 「えへへ。身体が軽くなった、って喜んでくれましたっ」 「ほんま? よかったやん」 「うんっ。それまですっごい緊張してたんですが、そこで初めてお兄さんの笑顔が見られて。それで、わたしの気持ちも楽になったんです」 「そかー。かさちーがそないにガチガチになるやなんてなぁ……いかつい感じの人やったん?」 「それが、よくわからないんですよね。薄暗かったから、お顔があまり見えなくて。ただ、とても優しそうな声でした」 「ふーん……? な、かさちー。薄暗くしたの、わざとやろ?」 「ぎくっ」 「……正直やなぁ、かさちーは」 「な、なんでわかったんですか?」 「当たり前や。何年、かさちーと一緒におる思てるん?」 「……ずっと?」 「くすっ。せやなー」 「うぅ……考えることなんて、お見通しですか……」 「ま、えーやん。知ってるのはうちだけなんやし。で、その後は何しはったん?」 「んと……じっくり耳かきしてたら、その……わ、わたしが我慢できなくなっちゃって。つい、耳を、その……え、えっと」 「ペロペロ?」 「は、はううぅっ……」 「あははは、けっこー大胆なんやなぁ、かさちーも。ちょっと安心したわー」 「だ、だって、あんまり気持ちよさそうだから、もっとしてあげたくなっちゃって……」 「ほー? どこまでしたん?」 「その時は、そこまでですっ!」 「……『その時は』?」 「あっ」 とうかの反応で、かさねは失言したことに気付く。 「あのかさちーがなぁ……そこまで大人になってまうやなんて。お姉ちゃん、感慨深いで……」 「か、勝手にわたしのお姉さんにならないでくださいっ! とーかちゃんはとーかちゃんでしょっ!?」 「あははー。今からお姉ちゃんになってもええんやでー」 「なりませんっ!」 「あ、けどソッチ方面はかさちーの方が一足先にお姉ちゃんになってもうたし……せやったら、うちが妹でもえーよ?」 「募集してませんっ」 「なんや、冷たいなぁ……」 「もぉ、とうかちゃんてば、変なことばっかり言ってくるんだから」 とうかは、半ば本気だったことについて口にはせず、続きを促す。 「で? 耳かきとかはせんかったん?」 「いえ、その後にしましたよ。とうかちゃんやみんなに教えてもらった通り、丁寧に時間を掛けてお掃除してきました」 「どんな反応やった?」 「くすっ。みんなと一緒。気持ちよさそうで、今にも眠りそうで……そうそう、ちょっとだけとうかちゃんのお話もしちゃいました」 「え、うちの? なんや、恥ずかしいなぁ……誰からも愛される美少女、とか話したんか?」 「あ、えと……」 「なんやねんな、その反応」 「あ、あはは……内緒、です」 「えー? ずるいで、それっ! 絶対変なことゆーたんやろ?」 ずずっと詰め寄られても、かさねは笑ってごまかし続ける。 「もー。うちが紡ぐ時も、かさちーのことゆーたらんと釣り合いが取れへんで、これ」 「釣り合いって、なんのですか……」 「なんや、こう……気持ち?」 「……とうかちゃんは、表現がふわっとしててわかりづらいです」 「ぶー。長い付き合いなんやから、なんとなくで汲み取ってやぁ」 「努力はしてます」 『それが実を結ぶことはあまりないけど』と、心中で呟く。 「んで? それで終わりなん?」 「……………………はい。そこでお休みになって、終わりました」 「なんや、今の間は」 「な、なんのことですか?」 「……ま、えーけど」 さすがにそこを聞いてしまうのは悪いと思ったのか、とうかはあっさり引き下がる。 「……感想、聞いてもええ?」 「はい…………ううん。わたしこそ、聞いてもらえますか?」 「ん、もちろんや」 「ありがとうございます」 「うちが聞きたいゆーてんのに、礼を言うのはおかしない?」 「いーんです。合ってますよ」 それは、言葉通り感想を聞いてくれることに対してだけじゃない。 いつもは早くに寝てしまうとうかが、自分のために起きて待っててくれたことも含まれていた。 「……この気持ち、なんて言ったらいいんでしょう。難しいんですけど……多分、満ち足りているんだと思います」 「満ち足りてる……? 紡いだことがか?」 「それもあります。けど、それだけじゃなくて……初めてお会いしたのに、交わした言葉はほんの少しなのに、すぐ打ち解けて。ああ、この人はわたしを求めて、たまゆらへと迷い込んだんだなって思うと……もうその事実だけで、お兄さんの存在だけで、心が満ち足りていったんです」 「……そうなんやな」 「お別れの時は、少し寂しかったです。けど、あの人はいつでもいるんだって。わたしとの繋がりは、これからも続いていくんだって思うと、もうフワフワしちゃって。何も考えられなくなっちゃいました」 「なるほどな……」 部屋を訪れてすぐのかさねの様子を思い出し、とうかは得心する。 「ええ人やったんや?」 「はい、もちろん」 「……かさちーは、また逢えるんやろか」 「ええ。逢えますよ、絶対。その為の祝詞です」 『ぬばたまの終わりは、再会の喜び』 それは、送り届けた迷い人が向こうで日常に戻ること。 そしてもうひとつ、いつかぬばたまからの目覚めが、またこの場であることを願っているのだ。 「……だから、とうかちゃん」 「ん?」 「次は、とうかちゃんの番です」 「そ、そうはゆーても、うちの気持ちは関係あらへんし―――」 「ううん、違います。わかるんです」 「……わかる?」 開いた障子の先から見える、きらめく夜空を眺めながら。 かさねは、自信を持って友人への言葉を紡ぐ。 「こんなに可愛い子が、放っておかれるわけないじゃ無いですか」 (了)