「……………………ふぅ」 “彼”の消えた空間を見つめながら、小さなため息を吐く。 いつの間にか陽は落ちたみたいで、たった今まで鳴いていたヒグラシも大人しい。 その代わりだろうか、スズムシ達の合奏が、みつなの耳を静かに彩っていた。 「“またいつか”……か」 あんなのは、ただの祝詞。言うことが決まりのようなものだ。 自分のするべきことは、ただ綻んだ“彼”の心を紡ぎ、また元の世界へ帰すこと。 それ以上を……ましてや、紡ぎ手である己が何かを望むことなど、本来ありえないのだ。 ……そう言い聞かせ、自嘲気味にみつなは笑う。 「だから、なんでしょうね」 こうして紡ぎ、見送ったのは、これで何人目になるだろう? 祝詞に込める、本当の彼女の思いは、だけど1度として叶えられたことはない。 次こそは、次こそは……と想い続け、気がついたら今日まで来ていた。 「…………」 そして、相変わらず今日も願っている。 “次こそは”、と。 「ムリだって、わかっているのに」 その諦めの言葉は、だけど期待の裏返しだ。 多分、どれだけの時間が経とうと、みつなはいつまでも願い続けるだろう。 『おかえりなさい』と、言える日が来るのを。 「あの……みつなさん、よろしいですか?」 「え? あ……かさねちゃん?」 「はい、かさねです」 物思いに耽っていると、部屋の前から声を掛けられた。 気を取り直し、軽く居住まいを正したみつなは、返事をかえす。 「大丈夫よ。入って」 「失礼します」 襖が開くと、思った通りソコには大事な妹分がゆっくりと部屋を尋ねてきた。 「えと…………」 部屋に入ったかさねは、きょろきょろと辺りを見回す。 まるで、誰かを探すかのようだ。 「くすっ、お姉ちゃん1人だけよ」 「あ……で、ですよね」 「そもそも、わたくしへ話しかけられたのだから、わかるでしょう? ちょうど、お送りしたところなの」 「す、すいません。わかってるつもりなんですが」 「……わかってるって、どちらのことかしら?」 「う……そ、それは、その」 こうして再び話しかけられたことか。 それとも、さっきまでこの部屋にいた“彼”が、本当にもう存在していないことについてか。 意地悪な質問だっただろうかと、すぐにみつなは反省する。 彼女としては、恐らく両方とも正解なのだろう。 「ふふ……ごめんなさい、困らせちゃって。優しいのね、かさねちゃんは」 「そんなこと、ないです。ただ……今のみつなさんの気持ち、少しはわかるつもりなので」 「そう……うん、そうよね。かさねちゃんも立派な紡ぎ手だもの。成長したのよね……えらい、えらい」 「わぷっ」 みつなの伸ばした右腕が、かさねの頭をとらえると、中心から手前に掛けて優しく撫でつけられる。 かさねは何も言わずに、むしろ嬉しそうな色を浮かべながら、されるがままだ。 「けどね。かさねちゃんと違って、みつなお姉ちゃんは経験豊富なのよ? いちいち、落ち込んでなんていられないわ」 「そう……なんですか?」 「ええ。慣れっこだもの」 「…………」 かさねは気付いている。 そう言っているみつなの笑顔が、いつもと全然違うことに。 もちろん、辛くないわけがない。ただ、自分たちよりもほんの少し、我慢の仕方が上手い……それだけに過ぎないのだ。 「それで? 用事は、お姉ちゃんを慰めてくれることだったのかしら?」 「あ、その……これなんですけど」 かさねが懐から一通の手紙を取り出す。 「お手紙?」 「はい、みつなさん宛じゃないから、どうすれば良いかなって」 「あ〜……くすっ、ほんとだわ。困ったものねぇ」 封書の表には、ずいぶん長いこと宿を留守にしている女性の名前が書いてあり、そして裏には――― 「あら、久しぶり」 みつなのよく知った名前が、そこには書かれていた。 「お知り合いですか?」 「ええ。もう、しばらく会っていないけれど」 「じゃあ、ええと……そのお手紙、お任せしても大丈夫でしょうか?」 「もちろん。任せておいて」 ホッとした様子で、かさねがため息をひとつ吐き出す。 「それだけなので……わたしはこれで」 「ありがとね、かさねちゃん」 「いえ。とんでもないです」 かさねは、踵を返して部屋の出口へと向かう。 ……が、その閉じた襖に手を掛けたまま、振り返る。 「あの」 「ん、なにかしら?」 「今日は、とうかちゃんと2人でつみれ汁を用意してみました」 「……え?」 「また後で」 「あっ……」 その後に続く言葉を待たず、かさねはスタン、と襖を閉めて出て行った。 「……ほんと、成長しちゃって」 つみれ汁は、みつなの好物だ。 それを今日、用意すると言う事は……そう言うことなのだろう。 「二人とも、あとでうんと甘やかしてあげなくちゃ」 愛しい妹分達を、どんな方法で楽しませてあげようか考えつつ、小刀を手に封書を開ける。 「今は、わたくしがココを見てるのだし、許してくださいね」 本来の宛先である彼女に謝りつつ、中に入っている紙を取り出す。 「ええと……?」 読んでみると、時候の挨拶もそこそこに、本題が続く。 離れた場所に住む、旧知の仲の女性からの知らせは、どうやら緊急を要する話だったようだ。 『折り入って、お願いがあります』と言う文字が目に飛び込む。 「ふぅ……開けてみて、正解ね」 『お願い』の前振りとして、そこには現在の状況が書かれていた。 たまゆらの宿と同じく、彼女の元に数人の紡ぎ手が集まってきたこと。 みんな良い子で、できればずっと面倒を見てやりたいこと。 けれど、既に許容限界を超えていると言うこと。 『そこで、お願いの話になるのですが』と続き――― 「……1人、うちに?」 果たしてこの手紙は、3人の暮らすたまゆらの宿に、どのような影響を及ぼすのか。 それはまだ、誰にもわからない。 (了)