「行っちゃった…………」 夕焼けに染まる空をぼうっと眺めながら、ふうりがポツリと言葉をこぼす。 その胸にある想いは、悲しみとも、切なさとも違っていて。 不思議な充足感と少しの寂しさ、そしてどこからか湧いてくる活力に満ちていた。 それが紡ぎ手としての生き甲斐で、宿命なのだと頭ではわかっていても、こうして実際に体験するまではどこか他人事に考えていた。 「……こんたなるんだなぁ」 視線を落とし、手の平を視界に入れる。 そこには間違いなく、ずっと昔から見慣れている自分の手があった。 それと……右手に残る、仄かな温もりも。 「はぁ…………」 紡いだからって、何かが変わるわけじゃない。 けど、何も無いわけじゃない。 今日のために、新たな家族となったみんなから聞いていたことは、ここにきてようやく理解できた。 「自分は、自分のまま接すればいい……か」 誰かの何かを真似する必要なんてない。 自分が自分で居る。 それがここに来る人の求める物であり、そして自分のあげられる物なのだ、と。 ……三者三様。 それぞれ言葉は違っていても、まったく同じ助言をしていたことは、ふうりしか知らないが。 「ふうりちゃん」 ふと、自分の名を呼ばれたふうりが、顔を上げると。 「あ、かさちん」 「終わった……んですね」 「ん……たった今」 「そうですか……」 かさねが、長椅子のすぐ隣に座る。 「ええっと……その……」 相手の感情が、今ひとつ見えないからだろうか。 なんと言えばいいか分からず、かさねは口ごもってしまう。 「ふうりならだいじょーぶ。そんな、気にしないで?」 「あ……ご、ごめんなさい。こういうこと慣れてないから、変なことを言っちゃいそうで……」 「変って、どんなこと? ゆうべ、こっそり夜中にお夕飯の残りを食べていたこととか?」 「そうですね、ゆうべにコッソリ…………って、えぇっ!? な、なんでその事を知ってるんですかっ!?」 「おしっこで起きたら、たまたま見ちゃった」 「うっ……いつもしてるわけじゃないんですよ? 寝ぼけてたら、いつの間にか……!」 「寝ぼけて食べ物を漁るくらい飢えてたの? おっがねなぁ、かさちん」 「夕飯の食べる量を減らしたから、それでですよぉ!」 相変わらず、少し肉付きの良くなってきたお腹を気にしているかさねは、無駄な抵抗を続けているらしい。 だが、身体は正直なもので、それに対する拒否反応を寝起きにしていたようだ。 「最後には、ふうりのことも食べるつもり? やだ、かさちんのえっち」 「そんなことしませんし、食べるの意味が変わってます!」 「じゃあ、みつなさんが言ってたみたいに、狙ってるのはとかちん?」 「だからしませっ……え? みつなさんが……あの、なんの話ですか?」 「ないしょー」 「ちょ、ちょっと、ふうりちゃんっ!」 どうやら、みつなは未だ妖しい勘違いを続けているらしい。 その事実をかさねが知るよしもないのだが。 「なにか、とんでもないことが起こっている気がします……」 「だいじょーぶ。愛があれば関係ないって、さっちゃんも言ってた」 「さくのさんは、ふうりちゃんに何を教えてたんですか……うぅ」 「よしよし、いーこいーこ」 ふうりのことを心配していたはずのかさねが、なぜか慰められる事態になっていた。 「励ましに来たのが、ばからしくなるくらい元気ですね、ふうりちゃん……」 「そう見える?」 「そうとしか見えませんよ」 「なら、それは多分、かさちんのお陰」 「わたしの……? あの、ここに来てから何も気の利いたことを言っていないばかりか、ただひたすらにイジられているんですが」 「仕方ない。そこがかさちんの魅力だし」 「わたしの魅力って、そんなところにあるんですか……?」 「いーこ、いーこ」 少し悲しそうにするかさねの頭を撫でるふうり。 だが、ふうりは別に慰めているわけではなく、ただ単純に本音を言っているに過ぎなかった。 今、この状況でかさねと喋れば、良いあんばいに重くならないからだ。 とうかでは軽くなりすぎるし、みつなでは深刻になって甘えてしまう。 やはり、かさねだからこそちょうど良い具合に話せるのだろう。 「ね、かさちんは信じてる?」 「信じてるって、なんのことですか?」 「紡ぎ手の、祝詞」 『おやすみなさい、よい夢を。おかえりなさい、またいつか』 迷い人の綻んだ魂を紡ぎ、元の居場所へ送り返すために詠む祝詞。 それには、ただ送るのではなく、“またいつか逢いましょう”という想いも込められている。 「……もちろんです。また、お兄さんには絶対に逢えるって、信じてますよ」 かさねも、相手の人を“お兄さん”と読んでいたことを知り、ふうりに小さな笑みがこぼれる。 「みつなさんが、『2度逢えたことはない』って言ってたよ。それでも?」 「はい、それでも」 まるで、それが当然のことのように。 キッパリと、かさねは即答する。 「逆に、ふうりちゃんはどうなんですか? いま、紡いだばかりですが……」 「どっちだと思う?」 「……わざわざ、聞くまでもないことのようですね」 「ふふっ、うん。かさちんと同じ」 そう、信じていないわけがない。 それが、紡ぎ手という存在なのだから。 「かさちんは、また逢えたらどーする?」 「え? どうする、ですか……? そうですねぇ……うーん」 逢えること自体は信じて疑っていないくせに、その後のことはなにも考えていなかったらしい。 「……あっ、わたしの淹れたお茶を飲んで頂きたいですっ」 「えー、お茶? 今日、ふうりがしたばかりだし、他のことにしよ?」 「あ、そうなんですか。じゃあ…………って、別にいいじゃないですか、被ってても!」 「おぉ、さすがかさちん。鋭いね」 「鋭さの問題じゃない気がします……」 小さくため息を吐きつつ、かさねはあきれ顔を浮かべる。 「ふうりはね、添い寝したいかも」 「あ、いいですね。わたしは前にしましたけど、とっても落ち着きましたよっ」 「え、そーなの? かさちんと被るのはイヤかも」 「……そろそろ傷ついちゃいますよ、わたし?」 「うそうそ、じょーだん。かさちんと一緒でうれしい」 「はぁ、もう……ふうりちゃんってば。とうかちゃんみたい」 出会って間もないというのに、妙に波長が合う2人のじゃれ合うような会話。 いつまでも続けられそうではあったが、空はそろそろ赤から黒に変わり始めていた。 「そろそろ帰りましょうか。みつなさんが、お夕飯を作って待っていますよ」 「ん、わかったー」 ふうりが立ち上がるのを確認してから、かさねが先導して歩き始める。 「あ、待ってかさちん」 「? どうしました?」 「手、繋いでかえろっ」 さっきまで、“お兄さん”と繋いでいた右手はそのままに。 ふうりは、左手をかさねに差し出す。 「くすっ……じゃあ、はい」 「やった。これで両手に花だね」 「……片手だと思いますよ?」 「あってるよ、“両手”で」 頭にハテナを浮かべるかさねをよそに、ふうりは左手をしっかりと繋ぐ。 「…………ふふっ」 先ほどと同じく、右手の平を見るふうり。 けれどその顔は、先ほどとは違い、優しげな微笑みが浮かんでいた。 (了)