わぁ…お兄ちゃんだ… ふふっ、よく寝てる… 今日は夜遅くまで、会社の人達と飲み会してから帰ってきたんだっけ… 寝顔は昔から変わってないみたい。 針はとっくに12をまたいじゃったけど、これからどうしよっかな… あっ…目が、覚めた? えっ、不審者!?それって私の事……? 何もしない。私は妖怪でも幽霊でもないから!なにもしないから…おちついてって…! ほらっ、私。私だよお兄ちゃん!落ち着いて。思い出して。 やっと、思い出してくれた…? うん、私だよ。詩絵だよ。お兄ちゃんの妹の。 亡霊となって出てきちゃった…!久しぶり!お兄ちゃん! もう、とんでもない顔しないでよ。人を座敷わらしとか、怨霊みたいに思わないで。 「そんなの信じられないよ」って? まあ、部屋にいきなりあり得ない人間がいたらそりゃ驚くよね、やっぱり… でも、嘘でもまやかしでもない。今は正真正銘の真実で、現実。 ほら、よく聞いてよ。私の声…忘れちゃったの…? 私は…詩絵だよ。本当に。5年前交通事故で死んだ、あなたの妹の。 お兄ちゃんにあいたくて、あいたくて。お兄ちゃんの家に来ちゃった。 ほら、私の服もみて?…覚えてない? 覚えてない?? これ、私が気に入ってた服と同じデザインでしょ? 今日、ちゃんと気付いてもらえるよう着たんだよ…? …私ね、冥界の神様の力で、もう一度この現世に亡霊として来たんだ。 うん、神様…神様だよ!本当にいたんだよ、死んだ世界に、神様が…! 亡霊になっちゃったけど、神様のおかげで私、お兄ちゃんにまた、会いにこれたの! …でもね、生き返ったわけじゃないんだ。 …ほら。亡霊になった私の手、触ってみて。お兄ちゃんなら、さわれるから。 あったかくないよね。まるで道端の石ころを触ったような冷たさ…だよね。 これが…私が生きてないって証明。亡霊は命のない存在だから、命のぬくもりがないの。 それでも私…嬉しいよ。 こうやって、言葉を交わせること。 こうして、もう一度お兄ちゃんに逢えたことが、なによりも。 だから突然のお願いで悪いんだけど…今夜、この家に泊めてくれないかな。 「とつぜん何を言い出すんだ」って? 実はね……今の私、お兄ちゃんに取り憑いている状態なんだ。私に触れるのも、取り憑かれているから。 亡霊になったら誰かに取り憑かなきゃ、現世に降りられないの。 そして、神様に言われたんだ。「私の手で亡霊となったら、取り憑いた相手を幸せにしなきゃいけない」って。 世間で座敷わらしとか言われているのってね、私と同じように神様が生き返らせた亡霊が正体らしいんだ。だから私も、そのルールに従わなきゃいけないの。 ……信じてなさそうな顔だね。 でもま…無理もないか。 私だってお兄ちゃんの立場になって、突然死んだと思っていた人間が現れたりなんかしたら、ドン引きしてわめき続けると思う…何してくるかわかんないもん。 ねえ…亡霊になった私の事…嫌いでもいいよ。 私は呪いも怨みもしない。 でも、どうか。どうか朝が来るまでは、この部屋にいさせて…? お兄ちゃんが私のことを追い出そうとさえしなければ、私は嬉しいから…そのあとはもう、二度とお兄ちゃんの前に姿を表さないから… …え? 本当に、この家にいていいの? ホントの、ホントに…!? …うん…!ありがとう…! そう言ってくれるなんて、思ってなかった…私の言葉、信じてもらえないんじゃないかって、不安だった…! でもお兄ちゃんは、信じてくれた! …えっへへ。抱きついちゃった。 お兄ちゃんに受け入れてもらえないんじゃないかって、ずっとハラハラだった……! 私を受け入れてくれたお返しに、今夜は精一杯お兄ちゃんを癒やしてあげる。 お仕事帰りなのに、私、お兄ちゃんを起こしちゃったし。 ここ最近、お兄ちゃんはお仕事でクタクタだもんね。毎日上司さんに怒られて、眠れない日もあったでしょ? 「なぜそんなことまで知っているのか」って? あの世…冥界からは自分が望んだ人の人生を眺めることができるんだよ。 おにいちゃんがどこで何をしていたかなんて、全部私にはお見通しなんだから… 「ストーカーじみたことを言うな」? そんなことないって!わ、私は妹だからギリギリセーフ…!ということにしてよ、ね! ……ほんとにゴメン。 突然のお邪魔にしても覗き見にしても、許されないことだって思ってる。 そのお詫びとして…私、お兄ちゃんを癒せるように寝かしつけてあげるから。 こうやって、 耳元で…ね。 ふふっ、お兄ちゃん肩が跳ねちゃってるよぉ…? お兄ちゃんには最高の一時を過ごしてほしい。もう二度と味わうことのできない安らぎ…それを与えるため、私はお兄ちゃんの枕元へきたんだから。 だからお兄ちゃん。改めて聞くね。 私を、受け入れてくれないかな…? …嬉しい…! …ふつつかものですが、よろしくお願いします。お兄ちゃん♪ 布団の中、おじゃまします… はあ、久々のお布団。落ち着くな〜 …お兄ちゃん、どうしたの?私の反対方向を見て。…あーっ、照れてるんだ。 あっはは…そういうところも変わってない。お兄ちゃん、妙に照れ屋さんで生真面目だもんね。子供の時からっ。 だから…今日も、お仕事終わりの飲み会、断りきれなかったんだよね… うん…ここに来る前見てたよ、お兄ちゃんが無理に笑って、飲み会やり過ごしてたの。 ああいうの、本当に大変だよね。明日はお休みだからって、上司さんが張り切っちゃって… お兄ちゃんみたいに若い人だと、断りたくても断れない。 ちょっと嫌な顔しただけで、お仕事に響くかもしれないし。大変だよ、アレ。 よくお兄ちゃんああいうところにいられるよね。 だからこそ…「立派になったなあ」って思うよ。今のお兄ちゃん。嫌な気持ちを隠しながら頑張ってるもん、毎日。 昔から、人見知りでいじめられっ子の私とは違って、お兄ちゃんはいつも気が強くて、ビシっとしてた。 けど私が死んでからのお兄ちゃんは、ちょっと頑張りすぎ。 実家を離れてから、ずっと…よそ行きモードで顔も態度も塗り固めてる。 …それは親をなくして、私もなくしたお兄ちゃんが、一人で必死に生きていく為に身につけたやり方ってことは、私知ってるよ。お給料を得るために。 私は、今日まで頑張ってきたお兄ちゃんを、癒やしてあげたい。 でもその前に……お返しの前借りとして…私の事、抱きしめてもらってもいいかな。 …正直言うとね、私がお兄ちゃんのベッドに入りたいのは、『ぬくもりがほしいから』なんだ。 さっきも言ったけど…今の私、亡霊だから自分の体温がないの。 いくら体を擦っても、いくら自分の体を抱きしめても、…亡霊だからなのか、全然あったかくない。 でも、お兄ちゃんに触れてるとすっごくあったかかった。 だから…私を抱いてもらっても、いい? …ホントに? …ありがとう、お兄ちゃん。じゃあ、おねがい…♪私も、抱き返すからね。 ぎゅうううううううう〜♪ あったか〜い…! ねえねえ、もう一度ぎゅっとして?もういちど! ぎゅうううううううう〜♪ うん!ありがとう…!最高の抱きまくらだったよ…!私にとって、最高の誕生日プレゼントだよ!お兄ちゃんの体! あ、覚えてる?今日は私の誕生日なんだよ。 今、生きていたら今日で19歳になるの。 偶然なんかじゃないよ。 今日お兄ちゃんに会えたのはね、神様から私へのプレゼントなの。 神様は「できる限りで願いを叶えてあげる」って言ってくれたんだ。 それで私、神様に突きつけた。「少しの間だけでも、生き返らせてほしい」って… 神様は「そんな願いを叶えることは出来はしない」って言ったけど、それでも私は何度も何度もお願いしたんだ。 そしたら神様は代わりの条件を出してくれた。 「人の目に見える亡霊として、魂の形を作り変えることならできる」って。 それで私、神様に亡霊にされちゃったんだ。 そしてね、亡霊って現世に降りたらしないといけないことがある。 一つはさっきも言った善行。私ならこうやって、「お兄ちゃんを癒やしてあげること」になるの。 もう一つは…『現世にいるうちに、取り憑いた人に願いを叶えてもらうこと』。 …うん、願い。私の持っている願いを、お兄ちゃんに叶えてもらうんだ。 そして私の願いは…「お兄ちゃんに会うこと」…かな。 だから、私の目的は叶っちゃった。『お兄ちゃんに会えた』。 あとは、お兄ちゃんがゆっくり寝てくれたらいいんだよ。 いつも疲れているお兄ちゃんをねぎらってあげることこそ、妹として、お兄ちゃんを好きな人として、今の私がやりたいことなんだよ。 …というわけで、瞳をつぶって? 大丈夫だよ…何もいたずらなんかしない。 それより、何かいたずらでもしてほしい? …むう、さいですか。 とにかく、お兄ちゃんは目をつむって。 いつまでも目を開けてちゃ眠れないし… 私、ずっと、じっと見られてたら恥ずかしいから… うん、おとなしく閉じてくれたね… …そんな緊張しないで。…大丈夫だよ。 今ここにいるのは私だけ… 口うるさい人。 見知らぬ他人。 苦手な大人。 わめく子供。 家の外にいっぱいある、ストレスの源その全てが、ここには一つもない。 ここにいるのは、お兄ちゃんを見守る、妹の私だけ… リラックスしよ。 まず、体から力を抜いて。全身に止め木のように引っ掛けていた力を、今ここで。 日頃のお仕事で常に力入れっぱなしの両手、両腕、肩、両脚…その全てをリラックスさせるの。 …そう。誰かに言われることで、したくてもできないその行為を、今ここで実現させていく。 私が、ずっと、耳元で安らぐ言葉をささやき続けて、やっとできること。 次に、深呼吸をしよ。 普段から深呼吸、やってないでしょ…? すぅー。はぁー… ほら、私のように… すぅー。はぁー… …リラックスした今のお兄ちゃんは、しぼんでいる大きな風船。…半端に吸っちゃダメ… 私のように、『すー』っと、吸えないところまで…お腹に吸えるギリギリまで、空気をしっかり吸って… はい、吐くぅ…ッ! ちゃんと深呼吸できた?一回目だし、ちゃんとできなかったかもしれないよね。 もう一度やってみるよ? 深く息を吸って…吸えないところまで…膨らんだお兄ちゃんという名の風船をしっかり張り詰めさせて…しっかり吐くぅ…ッ! ちゃんと空気を全部出せた? あともう二回だけ、深呼吸を繰り返していくよ。 その二回で、これからの睡眠に邪魔な体の緊張をしっかり抜いていこう。 もいちど、息を吸ってぇ……どんどんお腹という名の風船を膨らませて…しっかり吐く。 最後♪ もいちど、息を吸ってぇ……どんどんお腹という名の風船を膨らませて…しっかりと…吐き尽くすぅ…! どうかな…?これでお兄ちゃんから力は抜けた? できたなら、じゃあ今から私が、お兄ちゃんを寝かしつけるね。 「何をするつもりなんだ」って?ふふん、今から私は、お兄ちゃんの夢の世界を作ってあげる。 お兄ちゃんはずっと目を閉じてて。 瞼の裏に浮かぶ情景を、私の言葉に沿って思い浮かべるだけでいいの。 全部聞き終える頃には、きっとお兄ちゃんは眠たくなって、夢の世界だから… それじゃ、いくね… 目を瞑っているお兄ちゃんは、ここではないどこかに行く。 自分だけが知っている世界…まぶたの裏の闇の中へと、お兄ちゃんはどんどん行く。 気がついたら、お兄ちゃんは草原の上で横になっている。 青い空にあったかい野原。涼風が静かに通り過ぎる、一切のしがらみを感じない自然の中で横になっている。 おひさまの光を受けて、どこまでも広がる春の原っぱ。 それを敷布団にしているお兄ちゃんは、気持ちよく目を瞑っている…空の眩しさが心地いい。 感じ取れる、澄み渡る気持ちよさ…いつまでもここにいたいと思えるような、のどかさとしずけさと気持ちよさが、お兄ちゃんを包む… …時折、聞こえてくる小鳥のさえずり。それは近くの木に止まっている、野生の小鳥。 小鳥はのびやかに唄い、親鳥の帰りを待っている。 お兄ちゃんはそれをバックミュージックにして、眠ることに夢中になっている… さあ、小鳥に与える餌を咥えた親鳥さんが戻ってきたよ…! 親鳥さんは小鳥たちのさえずりを受けて、木の上にある巣へと帰っていく。愛らしい子どもたちの声を受けて、親鳥は餌を子どもたちにあげていく。小鳥たちはみんな大喜びで親鳥さんに伝えるよ。 「ありがとう。お母さん、ありがとう」って…! その心地よいさえずりにお兄ちゃんは聞き惚れているんだ。 そして、この景色を…お兄ちゃんは知ってる。 頭の片隅にとどまっていたはずの、穏やかなこの世界を…お兄ちゃんは知っている。 …そう。ここは、私とお兄ちゃんのお気に入りの場所。 ここは、お兄ちゃんを癒やす、お兄ちゃんだけの憩いの場所…地元にある近所の公園なんだよ。 喧騒とコンクリートで塗り固められた、今のお兄ちゃんが住む都会からずっと離れた世界。 子供の頃に、私たち二人でよく遊んだ、『あの頃なまま』の世界… お兄ちゃんは、その思い出の景色の中に帰っているんだ。  ここなら、誰かの声でイライラする事もない。 ここなら、誰かから嫌な目で見られることもない。 ここなら、使命感とか義務感とか、お仕事にがんじがらめにされることもない… だってお兄ちゃんは、今自由になるために、今日までお仕事、頑張ってきたんだもの。 そしてここは鳥さんのように、お兄ちゃんが伸びやかに羽を伸ばせる場所。 故郷を出て、学生生活という名の階段を登り続けて、社会人というゴールにたどり着いたお兄ちゃん。 今この時は、いつも大変な社会人生活で頑張り続けてきたお兄ちゃんが…何も考えず、ただ安らぐことができる時。 私が導いたこの思い出は、その安らぎを最大限感じることのできる世界。 もっと思い出の心地よさを思い出してみて… 草木が風を受けて、今のお兄ちゃんと同じようにのびのびとしてる。 程よい気温と天の恵みを受けて、ずっと昔から生き続けている命が、公園の自然を形作っている。 春には地面から虫さんが姿を表し、桜の薄赤色が辺りに舞い散り… 夏には蝉の鳴き声と眩しい暑さが大地を覆い… 秋にはたくさんの椛の葉と静けさを含んだ風が吹いて… 冬には子どもたちが喜ぶ沢山の白銀の雪が地面を埋め尽くしている… そんな一年の中で違う顔を見せる公園の中が、私とお兄ちゃんのお気に入りの場所。 昔、いつもこうやって二人で横になって寝てたよね… その度に、私…耳元へこうやって口を寄せて囁いてたんだよ…… 「おやすみ、お兄ちゃん」って…… お兄ちゃんは気持ちよく私と一緒に眠り続けてる。 鼻先から吸い上げる空気の美味しさで体の中を満たしながら、すっと眠りに入っていく… 都会の中では、しんどさで感じられなかった季節の良さを、いまこの時。 体の芯で。心で。お兄ちゃんは感じていく… この公園の原っぱは私とお兄ちゃんのお気に入りの場所。 近所の子供たちは部屋で遊ぶことが多くなっても、私とお兄ちゃんはいつもここに来ていた… 二人きりで、遊んで、笑いあって、いろんなことを話せた思い出の場所… ホント…私達はよくここで遊んだよね。 無邪気に過ごしてた幼稚園の時… 幽霊となった私も、ちゃんと覚えているよ、あのときのこと… 私は14歳で死んでしまったけど、あの時の記憶は薄れてない。褪せない。忘れてない。 この公園でのんびり休めるのって…とっても幸せなことだと思うよ。それが思い出の中の、妄想の景色だとしても。 だってこうでもしないと、お兄ちゃんは……大人って、休めないんだもん。 大人になったお兄ちゃんは、毎日仕事で辛い目にあってる。 どんなにお兄ちゃんが丈夫でも、ずっと肩に力がはいるような場所にいたら、いつかダウンしちゃう。 限界まで伸ばしたゴムが、プッツンと切れるように… だから、今はここでゆっくりと…私と一緒に昔を思い出しながら過ごすんだ。 過去があって今がある。 過去を思い返して癒しに浸ることは悪いことなんかじゃない。 昔を懐かしんで、今を生きるための糧にしていくことは大切だもの。 それを悪く言うような人がいたら、それこそ可哀想だと思うな、私。 そういえば…私も、昔はよく悪口言われた。学校で。 そして帰り道にあるこの公園で、おにいちゃんはいつも私を励ましてくれたよね。 いつも涙を流して、顔を両手で覆ってた小さい頃の私… そんな私に、お兄ちゃんは手を伸ばしてくれた。 「泣かないで」「元気をだして」って、勇気づけるお兄ちゃんの姿に、私は助けられて、笑顔を失っていた私は、もう一度笑おうと頑張った。 私が今笑えるのは、お兄ちゃんのおかげなんだよ。 あの公園で、二人で「都会の学校に行ってみたい」って話したこともあったよね。 実際、私たちの故郷には近くのスーパー以外何もないし、登下校の道にあるのはこの思い出の公園くらい。 お兄ちゃんはよく「都会の中だったら近くにゲーセンでもあるのかなーいいなー」って言ってた。 私はよく「別に都会の学校はいいかな」って言ってた。 …アレね、人の少ない田舎でいじめられていたんだから、人の多い都会だともっと大変になると思ってたもん。 そしてお兄ちゃんは、いつも私を学校のイジメてくる人から守ってくれた。お父さん、お母さんが死んでから、保護者であるおじさん、おばさんよりも一生懸命。 小学校の頃、石を投げてきた男の子をこてんぱんにして泣かしちゃうし、中学生の頃は周りの子達が「シスコン」呼ばわりしてきても、お兄ちゃんは気にすることなくかばってくれていた。 そんなお兄ちゃんが私は…好き。大好き。 私…死んじゃってからずっとお兄ちゃんのこと気にしてて…もう、口にせずには居られなくなっちゃった。 ……今言わなきゃ、きっと私も後悔するし… ずっと私が、お兄ちゃんの隣にいてあげる…だから、今日は、ぐっすりやすんで。 私のことは何も心配はいらない。 ずっと、隣に…そばにいるから… もう眠たくなった?…うん、無理に返事しなくていいよ。 明日はお休みの日なんだもの。気にしなくていい… いまこの時を大切にして。いまこの時があって、明日もあさっても、その先の日も頑張れる。 だから…『すべてを忘れて』休んで。私のことも…忘れて… いつもこうやって、私が隣にいてあげるから… おやすみなさい、お兄ちゃん。 …寝ちゃった、かな。 …うん、ぐっすり寝てる。 これで、お兄ちゃんと話せた時間も終わりかー …終わってみれば、案外短かったな… このままずっとここにいられたらいいのに。 時が止まって、いつまでも一緒にいて喋り続けられたらいいのに。 亡霊の私には…お兄ちゃん以外に喋れる相手がいない。 私が会いたいと思ったお兄ちゃんにしか私を見ることはできないし、ここ以外にどこにもいけない。 そしてお兄ちゃんも、時々昔を思い出して、私のことを思い出しては悲しんでた。 そして私は、そんなお兄ちゃんを慰めてあげたいと思ってここに来た… ごめん、お兄ちゃん… 私ね、嘘ついちゃった。 私の願いは、『お兄ちゃんと会うこと』なんかじゃない。 『私のことを忘れてほしい』、なんだ。 大人になっても、お兄ちゃんは私のことを覚えてくれていた。 実家に帰ったり、一人暮らしで辛いことがあったりしたとき、時々私を思い出しては「詩絵がいたらなぁ」って口に出してくれていた。 私は…冥界から、ずっとそれを見てたんだよ。 「私はここにいる」って、何度も何度も言いたかった。訴えたかった。伝えたかった。 でも、死んだ人の世界と生きた人の世界は別だから、今日までそれは叶わなかった。 …お兄ちゃんは知らないだろうけど。 私、もうすぐしたらいなくなるんだ。 正真正銘、私という存在がこの世から『いなくなる』の。 私のような『亡霊』ってね、一日の夜の間しか存在できないんだよ… 神様が言ってたんだ。 「現世に来た亡霊は朝を迎えれば、完全に消滅する。誰の記憶からもいなくなる」って。 私が生きていたっていう、存在そのものが、全部なくなる。もちろんお兄ちゃんの記憶からも… 私は、それを神様から聞かされて、すべてわかった上でお願いした… 全部、お兄ちゃんのためなの。 今日をぐっすり休んだ後で、もう私のことを全て忘れて、これからを生きてほしいから。 私が死んだっていう、悲しい過去を、一つでも取り除いてあげたいから… お父さん、お母さんがいない私たちの記憶に、私まで入れたくない。 お兄ちゃんの悲しいばっかりの過去に、私なんて無い方がいいんだよ。 だから、私は…初めから消えるつもりでここに来た。亡霊としても死ぬつもりで、譲れない想いを以ってここに来た。 。 私のことを大切にしてくれて、今もずっと大切に覚えててくれるのは、お兄ちゃんぐらいだから。 だから私は、消える最後までここにいられればそれでいい… 神様は「一夜のうちに願い事を叶えればいいことがある」と言ってたけど…できない望みを叶えてもらうような期待、私には持つことができなかった。 それに私が消えても、お兄ちゃんは幸せになれるなら……楽な道を選んだほうが手っ取り早いもの。 だから私は、消える。 そのはず、なのに… …あれ? なぜ?どうして…っ?なんで私は…泣いちゃうんだろう。涙が出ちゃうんだろう。 小さい頃から、どんなことにも耐えられた。 お母さんたちが死んだときだって、クラスメイトのイジメだって我慢強くいられた。私を慰めてくれるお兄ちゃんさえいたら…なんとかなった。 私はお兄ちゃんから、悲しい記憶の一部分である自分を、切り離そうとしているのに。 ……どうして今になってためらってるんだろ…! それはきっといいことのはずなのに。 なんで…私はっ、こんなにも心が悲しくなるの? 今もお兄ちゃんに私の記憶がちらついているから、忘れてもらえれば、もっとお兄ちゃんは自由になれるのに…! 今になって、私は「お兄ちゃんに忘れてほしくない」なんて思い始めてる…ッ! だめだよね…ッ!これじゃわたし、お兄ちゃんに執着しちゃってる。 亡霊どころか、怨霊だよ…ッ! 私自身のこの思いも、消してしまえるようにこんな方法を選んだって言うのにね…! 私がいつまでもお兄ちゃんに付きまとえたら…って、今も思わずにはいられないよ… ホントは、死にたくなかった… あんな交通事故で、お兄ちゃんと離れ離れになりたくなかった… たくさん生きて、おばあちゃんになって、自然に死ねたら良かったのに… 私は冬の道路で、スリップした車に巻き込まれて…お兄ちゃんにお別れも言えずに、自分の血の中に溺れちゃった。 たくさん後悔して、気づいたら冥界にいて、神様に私、慰められてた。 お兄ちゃんも私のために泣いてくれてた。ずっと、冥界から見てた。 親戚だけのお葬式の中、お兄ちゃんは「男だから」って強がっていたけど。 家に帰って一人で泣いてたのを私、知ってるんだよ。 できるのなら、隣で震えてたお兄ちゃんの手を握ってあげたかった。 生きてた頃の、私のあったかい手で。 でも、それもできない。死んですぐには亡霊になれないルールがあったから。 あの日から随分経っちゃったよね…私も、ホントならお兄ちゃんみたいにもっと背も大きくなって、胸も育っていたのかな。 覚えてないかもしれないけど、学校に行く前の昔はね。私よりもお兄ちゃんのほうが泣き虫だったんだよ。 幼稚園の子供との喧嘩に負けたり、おじさんたちに怒られたりして… そのたびに、私がお兄ちゃんを助けてあげてた。 いつからだろうね、その関係が逆になったのって… 多分、学校に行きだしてから、かな。 どこからか私たちの親が死んでいることを聞いた子が、最初に私たちのことを「親なし」だ、「親戚ぐらし」って言い始めたんだと思う。 そのころから、私は泣き虫になった。 お兄ちゃんはそんな皆に対して、私をずっと守ってくれてた…私が死ぬ、14歳の時まで。 幼稚園の頃と比べて、お兄ちゃんはずっと強く、たくましくなってた。 私が死んだ時のお兄ちゃんの涙は、幼稚園の時以来に見たんだ。 それから、お兄ちゃんは自立して、一人で生きられるように、家を出られるように勉強していたよね。睡眠時間を蹴って、分厚い参考書との取っ組み合いの学生時代の毎日… 子供の頃、私には『先生とか料理人になる』って言ってたお兄ちゃんが、都会でサラリーマンになるだなんて思いもしなかったよ。 でもそれって、いろんな現実を見てきて選んだ、お兄ちゃんの生きる道なんだよね。 そんなお兄ちゃんをずっと私は冥界で見守ってきた。そして応援してた。 それから、逢いたいって気持ちがどんどん大きくなって…冥界で毎日、神様がうっとおしがるくらい言い続けた。 「死んでも絶対帰りたい!」って。 その結果が、今日。一夜限りの奇跡… 消えるときにしかお兄ちゃんから見てもらえないなんて、私、流れ星みたいだね。 太陽の光が、空の向こうに見える。 …もうそろそろ夜が明けるね。 もうすぐしたら、私は完全に消えちゃう。 貴方の妹は、この世界から完全に『いなくなる』んだ…。 さよなら、お兄ちゃん。 そして、ごめんなさい。面と向かってお別れをいえない妹で… ッ…!?お兄ちゃん!? な、なんでいきなり布団の中から飛び出して、私を抱きしめて…!? えっ!?「寝たフリをしてた」!? 狸寝入りってコト!? なぜ!?どうして…!? …起きないでよ!気づかないでよ! 私がもうすぐどうなるかもわかっちゃうでしょ!? 綺麗さっぱり、いなくなっちゃうんだよ!?お兄ちゃんの思い出から、私は! 私は少しでもお兄ちゃんに悲しまないでほしいから、一人で消えようとしてたのにッ…! どうしてそんな、しっちゃかめっちゃかにしてくれるの!? …「忘れたくない」!? 私だって、忘れてほしくない!!お兄ちゃんの思い出の中にいたい! でも私を思い出せばあの時の悲しさが、いつもお兄ちゃんを苦しめる! 私はお兄ちゃんの中の嫌な思い出…そうなりたくないの…!! 「お高くとまるな、バカ妹」……!? バカって、なによ…!いくらなんでも、私が考えたやり方を「バカ」って、ひどいよ…! ホントの私は、お兄ちゃんにいつまでも覚えて…『忘れないでほしい』んだからぁっ…! なんで、私を…もっと抱きしめられるの…? これじゃ私、忘れてもらうために、最初から消えるつもりで、亡霊になった意味…無いじゃない…! …うん、少しだけ落ち着いた。 そして、決心も着いた。 ごめん、お兄ちゃん。私嘘ついてた。 …やっぱり私、私のことを忘れてほしくなんか無いよ。 だから、もう手遅れかもしれないけど、私のホントの願い、言わせてほしい。 『私の事、忘れないで』 これが私の、偽らない胸の気持ち。本当の、願い。 …そっか。忘れてくれないんだ。 こんな私を…死んで亡霊になった私のことを。 なんでだろ。朝になれば亡霊のルールで、お兄ちゃんの前からいなくなるはずなのに。お兄ちゃんの頭から私がいなくなるはずなのに。 それを想像したら、ものすごく辛くて、悲しいと思ってたはずなのに。 今は不思議なくらい、安心してお兄ちゃんの顔を見ることができてる。 …私の中で、腹がくくれたのかもね。 ありがと。私はもう泣かない。最後まで。 だから、お兄ちゃんと一緒に笑顔でお別れしたい。 お兄ちゃん、気づいてないみたいだけどずっと涙流してるよ。さっきから。 お兄ちゃんの泣き顔も、私の葬式以来かー… はい、ティッシュ。もうこれから先、私はいないんだから、こうしてあげることもできない。 だけど、お兄ちゃんならこれから先どんなことがあっても大丈夫だよ。私が保証する。 ……約束の朝の時間まであと少し。 最後の時は、私の口で、お兄ちゃんの耳元で囁いてあげる… 10,9,8,7,6,5,4,3,2,1…! …さよなら…お兄ちゃん!! …え?私、なんともない…? えっ、朝なのになんで!? えっ、なんでお兄ちゃんが触れて…!?…っ!「詩絵の手、あったかい」…? なんで!私は消えるんじゃないの!?それに、亡霊の手は冷たいはずなのに…!? えっ、私が言ってた?何を…? 「願いを叶えたら、いいことがある」って…? たしかにそれ、神様から言われてたことだけど…! もしかして、そのいいことがこれ!?神様、願いを叶えたあとのことについては何も言ってなかった……もしかして、それが、これ……? 私の…本当の願い、「お兄ちゃんに忘れてほしくない」って言って、誓ってもらえたから……願いが叶ったことになって… 生き返れたってことなの!? そんな…!そんなことって…! それじゃ私、私のしてきたことは…前向きな自殺行為そのものじゃない…!自分から、忘れてほしい、だなんて…! お兄ちゃんにとって、辛いことばかり言ってただけになるじゃない……! ぐすっ…こんな時に抱きしめないでよ、お兄ちゃん…! う、わあああああぁぁぁっ…! …ぐす…うん、ごめん、シャツ、私の涙で濡らしちゃって…! すっごくバカなことしてた、私。 これじゃ何のために消えるつもりで冥界から現世に降りて、覚悟決めたのか…意味わかんないじゃない。 せっかく生き恥も何も残さずに来たつもりだったのに! 神様が言ってた「いいこと」… 一夜のうちに、本当の願いを叶えることができたら、本当に生き返ることができるだなんて、思いもしなかった。 こういうの、奇跡って言うの…?奇跡は、あるはずがないから奇跡なんじゃないの…? 「そんなことはどうでもいい」? 「どんな奇跡だって、起きてしまえば現実だ」って…… …どうでもよくなんかないッ!! 私は、お兄ちゃんの前で大恥かいたんだよ…!ドラマの悲劇のヒロインみたいにさ、かっこいい言葉言って消えようとしてたのに…笑顔で消えようとしてたのに。 …これじゃ私、これから先お兄ちゃんに今朝のこと出されるたびに悶えるしか無いじゃない…! 「生きられるんなら、それくらい些細な事だろ」? お兄ちゃんは言ってくれる!そういうのを平気で平然とッ!! …そりゃ、これからまた人生が始まるんだとしたら、恥ずかしい思い出なんて些細な事だけど… …はあ。これからどうしていけばいいんだろ。 世間では私死んだことになってるだろうし、実家に戻ったらおじさんたちもびっくりするだろうし。 お兄ちゃんにも色々迷惑かけてしまうだろうし… けど…けどね。 これがもう一度、私が生きられるチャンスだっていうのなら。もう一度私、生きてみたい。 神様がくれた、とっておきの二度目の人生で、今まで死んでいた分を、精一杯楽しんでいきたい。 …お兄ちゃんには無理を承知で言っちゃうけど…私が落ち着く間、しばらくお兄ちゃんと一緒にいていいかな。 きっとお兄ちゃんは、私のせいでこれから大変な目に合うと思う。 戸籍とか、住まいとか、いろんな手続きとかで…私、お兄ちゃんを巻き込んじゃうと思う。当分は、ここに住むことになると思う。 でも、迷惑かける分は、絶対私がなんとかしてみる!バイトでも、家の掃除でも、なんだって…! だから、お願い。お兄ちゃんと一緒に生きても、いいかな? …うんっ…! もう一度言うけど…不束者ですが、よろしくお願いします!お兄ちゃん! そして、遅くなっちゃったけど! ただいま!お兄ちゃん!