《カチャン……》 早瀬 「ご馳走様……美味しかったわ」 買い物を終えて帰宅した後、作り置きしていた煮物と合わせて簡単に夕食を済ませた貴方と早瀬。 早瀬は食べ物に拘りなどないという顔をしていたが、やはり煮物の中から人参を多く食べていたのは一緒に食べていた貴方にもよく分かった。 ――お粗末様、気に入って貰えたなら何より。 そう、箸を置く彼女に声を掛ける貴方。 彼女の母親の件以来、貴方はずっと彼女の家で生活を送っている。 今は……新体操の事以外は考えたくないという彼女に対し、どうせ貴方の家族も転勤で誰もいないのだからと、彼女を心配して付き添い。 そのまま、ずるずると関係は続いていた。 早瀬 「私はシャワーでいいけど、貴方お風呂はどうするの? 入る? ……ん、じゃあ溜めておくわね……ソレくらいは私がやるわ」 貴方が片付けをしていると、さして気に留めた様子もなく早瀬が問いかけてくる。 すでにこの生活も日常と言える程に何日も続いている。 早瀬からしても、もはや風呂ぐらいでは気にしないという様子だ。 貴女が軽く頷けば、それで納得したと浴室に向かい姿を消す。 いつもながら、奇妙な関係だなと……妙な感慨のようなものが貴方の中に湧いていた。 貴方と幼馴染である早瀬とは、別に恋人である訳でも、気の置けない関係を続けていた友人同士という訳でもなかった。 ただ昔、子供の頃。 一緒に遊んでいた事があるだけの隣人(りんじん)……それだけの関係のはずだった。 それが、あの日以来……こうしていつも隣にいて、生活を共にしている……まるで家族のように。 本当に奇妙な……言葉にしづらい関係だなと時折、家事の合間にふっと改めて思い返してしまう。 《たんたんたん……ぎぃ》 早瀬 「用意してきたわ……少し時間掛かりそうだったけど、溜まったら先に入ってもいいかしら? ……そっ? それじゃ有難く頂くわ」 準備を終えた様子の早瀬が、ひょいと顔を覗かせて聞いてくる。 貴方が一声頷けば、それに頷き返してくれて。 ……それっきり喋る事がなくなったといった様子で、部屋に沈黙が広がった。 学校であった事など些細な会話は、初日の内にすぐに使い果たしてしまった。 だから最近は、何か必要な物はないかなど最低限の会話が終わってしまうと……お互い黙ったままでいる事も多くなった。 恋人と言うには離れ過ぎていて、友人と言うにはお互いを知らず、家族と言うには……何処か遠慮があって、ぎこちがない。 ――本当に……奇妙な関係だ。 再び、貴方は心の中で呟いた。 尤も……元々、彼女はコミュニケーションを取りたがる相手ではない事はよく分かっていたし、これはこれで……良好な関係といえるのかもしれない。 少なくとも、貴方にとっては……この明確な言葉に出来ない関係は、決して不快なものではなかった。 早瀬 「……ねぇ、そういえば、なんだけど」 沈黙が続いている中……ふいに、早瀬が口を開いた。 普段ならば、そのまま静かな時間が過ぎていく事が多かっただけに、小さな驚きを覚えながら貴方は彼女を振り返る。 そこにはいつも通りの、すまし顔の彼女がそこにいた……が。 早瀬 「私今日、コーチから。 あぁ……多分告白された、のかしら?」 早瀬 「“家の事で苦労してないか? 大変な事があればすぐに俺に言え。 練習では手は抜けんが、それ以外なら何でも手伝ってやる……何なら、俺の家に来てもいいぞ? お前さえ良ければ……一生面倒をみてやってもいいと思ってるからな、俺は!”」 早瀬 「……って、言われて。 その時は考えておきますって言って練習に戻ったんだけど……ねぇこれって貴方、どういう事だと思う?」 《がしゃん!!》 唐突に、そんな爆弾発言を彼女が言い放つ。 驚きのあまり何をどう返したらいいかと混乱し、思わず言葉に詰まってしまった貴方。 早瀬はそれを観察するように、じっと貴方を見つめている。 どんな態度を取るべきなのだろうか……なんて答えを返せばいいのだろう。 気に掛けてくれる相手がいる事を喜ぶべきなのだろうか? それとも……そんな怪しい男は止めておけとでも、叫ぶべきなのだろうか? そんな1つに纏まってくれない考えがぐるぐると脳裏を駆け巡り、何か言うべきと口を開く、が……結局言葉には出来ずパクパクとただ情けなく空回る。 そんな滑稽にも見えそうな時間が、暫し流れ……。 早瀬 「……ぷっ……ふふ、あは……はは♪ 何よ、その顔……ふふ……困りきったみたいな、変な顔! ふふ、ふふふ……♪」 突然、堪らず噴き出した(ふきだした)といった様子で、早瀬が笑みを浮かべた。 困惑する貴方を尻目に、珍しくくすくすと楽しそうに……彼女は笑い続ける。 早瀬 「バカね……嘘、って訳じゃないけど……ふふ、別に悩んでなんかいないわ。 今……私、そんな事言われても考える余裕なんてないもの。 お世話にはなってるけど、別にコーチの事……そもそもそんな好きじゃないし、ね」 猫のようにゆっくりと……、早瀬が楽しんでいるといった様子で目を細める。 何を楽しんでいるのだろうか? コーチを滑稽だと嗤っているのだろうか? それともその事にショックを受けてくれた貴方の態度が……、嬉しいのだろうか? そんな何も分からず戸惑う貴方に、早瀬が一歩、近づいた。 早瀬 「……私、今は大会の事しか考えていたくない。 ママが……楽しみにしてくれていた、大会の事だけ考えたい。 自分のことみたいに、”沙穂ならきっと良い成績出せるわ”なんて言って、ずっと楽しみにしててくれたから。 だから、これだけは……手を抜きたくないの。 本当に、今は他の事なんて気にしてる余裕ないのよ。 でも……」 呟くように言いながら、また一歩、早瀬が貴方に近づいた。 もうすぐ目の前に彼女がいる……目を細め、普段は何にも興味を示していないかのように振舞っていたはずの彼女が、笑みを湛えて。 早瀬 「貴方には……。 あれから……私が恥を晒したあの時から、ずっと傍にいてくれた貴方。 そして今、大会の事だけに集中させてくれようとしてる貴方には……我ながら驚く位、感謝……してるわ」 目の前、そう表現するにも近過ぎる程……お互いの息が……吐息を感じられる程、近くに……彼女がいる。 息を吸うと……少しだけ甘酸っぱいような彼女の匂いが、鼻腔に満ちていくのが分かった。 早瀬 「お風呂が沸くまで時間もあるし、汗をかいてもすぐ流せるわよ……ね? お礼って私、どういう事すればいいのか良く分からないけれど。 男なら絶対喜ぶって……着替えの時とかに、なんか話題になってるようなのは着替えながらだけど、少し聞いた事あるのよ。 ……不思議だけど、他の女子ってそういう話題好き、なのかしらね?」 早瀬 「だからまぁ……今日までの、その……お礼代わりかしら? 何もかも全部というのは、ぁー……流石の私でも”まだ”抵抗あるからあげられないけど。 体に障らなそうな、うん……そういう、アレならいいんじゃないかな、と思うのよ。 ……なんて言い方をするのが正しいのか、私も……良く分からないのだけれど」 早瀬 「ね……? 貴方のお陰で、私……今どれだけ集中出来てるか。 私の体……どれだけ柔らかくなってるか、確かめて……頂戴よ? 貴方の、手で……ね? はぁ……、むっ♪」 そう言って、悪戯ッ気のある笑みの浮かべていた早瀬の顔が視線の横に消える。 それから貴方の耳にくちゅりと湿った音を伴って、彼女のお礼の合図が……絡みついた。