それから暫く、貴方と早瀬は変わらぬ日々を過ごしていった。 彼女の練習が終わるのを待ち、彼女と共に家路につき、夕食を共にする日々を。 尤も、その日々の中に少し風変りな”お礼”として、入浴の前に時折……濡れた滴りの水音が混ざる事はあったが。 けれど、兎に角……そうして日々は過ぎていき、そして……。 -=-=-=-=-=-=- 早瀬 「……いよいよ、大会ね」 早瀬から軽めにして欲しいと頼まれていた夕食を終えると、何かを考えるようにぼうっとしていた彼女が、突然ぽつりと呟いた。 問われたのかと思い貴方が頷き返すと、彼女は何故か言い難そうに口籠る。 普段とは違う様子に、何かあったのかと貴方は問い返そうかとしたが、 その瞬間に、早瀬が躊躇いがちに口を開いた。 早瀬 「……ねぇ、貴方? やっぱり……貴方も来るつもりかしら?その……私の応援に」 何処か目を反らすようにして俯き、彼女が尋ねてくる。 勿論と、貴方がそれに返事をすると、早瀬の顔が渋皮でも噛んだかのように濁りをみせた。 早瀬 「そう……そうよね。 私も、えぇ……貴方が見ていてくれるのは悪い気はしないだろうって、そう思ってたわ。 ……その、つもりだったのだけれど」 先程からどうにも歯切れ悪く、早瀬がまた口ごもる。 流石に意図が分からないと、改めて理由を彼女に問い返す貴方。 すると……。 早瀬 「はぁー……。 ……言い難いのよ、私の我儘だから。でも、そう……言わないのは流石に、貴方に悪いわね。 ふぅ……あの、うん……ぁー。 ……大会には、貴方に来ないで欲しいと言ったら……やっぱり気分を悪くする、かしら?」 気まずげに顔を反らし、早瀬が言う。 予想していなかった言葉に貴方が目を見開き、理由を聞き返そうとすると、尚の事彼女は気まずそうに視線を泳がせる。 そして、貴方が尚も言葉を募ろうとすると……ようやく彼女は心を決めたのか改めて貴方の顔を見返し、唇を開いた。 早瀬 「分かった、分かったわよ……言う、言うから! その、貴方の協力のお蔭で私ここまで……大会の事だけ考えてこれたじゃない? そして、それももう終わる……えぇ、どんな結果であれ絶対に終わる……私の、区切りもつくと思うの。 でも……貴方のお蔭で少し余裕が出来たからなのでしょうけど。 ……ふと、考えてしまったの。 終わった後、私……どうするんだろう、なんて先の事を」 早瀬 「考えて、考えて……何にも思い浮かばないのよ。 終わった瞬間、私何をしたらいいんだろうって……情けないけれど、何一つ考え付かなくて。 でも、そこで……何となく、何となくよ? ……貴方がいてくれてるこの家に、とりあえず帰りたいなって、……他には何も考えられなかったのだけれど。 それだけは、ふって頭の中に湧いてきて……あぁ、もう本当に情けない……だから言いたくないのにっ!」 早瀬 「……終わった瞬間、抜け殻みたいに何も出来なくなりそうなんて、我ながら……とても悔しいけれど。 貴方がいる、この家に……帰ってこれるように、帰ってきたいと思えるように。 大会の終わった後だけでいいから……貴方にこの家にいて欲しい。 私がどうしようもなくなって、動けなくならないように……押しつぶされないように。 貴方がいてくれるこの家を、私の帰るべき場所として……安心させて貰えないかな……なんて、そういう……」 言って、早瀬がぎゅっと唇を噛んだ。 ……プライドの高い彼女の事だ、気まずいと言っていたがその実、 平気なように見せかけていた自分が、ここまで弱っていた事を告白するのが……怖かったのかもしれない。 彼女の踊りはきっと美しいだろう、ここまで支えた貴方だからこそその成果を見たいという思いは勿論ある……けれど。 早瀬 「ど、どうなの……? 家にいてくれるの? 誤魔化しや隠し事はなしにして!私……こんな情けない事全部言わされたのよ!? ……ねぇ、お願い。答えを聞かせて……?」 強く、手を抑えるようにして早瀬が体を縮める。 すべて曝け出してしまった不安で。貴方が驚いた事で出来てしまった、数瞬の沈黙が耐えられなかったのかもしれない。 その姿はいつもの彼女とは違い……母親の事故の連絡を受けて、呆然と佇んでいたあの時の彼女を思い起こさせた。 その姿を見て、貴方は思い出す。 この彼女を見てしまったから……支えたいと思ったから、今の関係が始まったのだという事を、改めて。 ――分かった、ここで待つよ。君の帰りを……君の帰る場所として。 早瀬 「っっ! ……ほ、ほんと? はっ……ぁ、はぁー……そ、そう? それなら嬉しいけれど……そうして、貰えるのね? ……そっ、…………ありがとう」 驚き何度も言葉を重ね、早瀬が確認するように貴方に問い返す。 貴方が頷くと、そこでようやく安心出来たとばかりに……深い深い、安堵の声が漏れ聞こえた。 早瀬 「ふ……ふふ♪ あぁ、それなら……もう私何も、怖くないわ。 貴方に見せられない事だけは残念だけど……約束する。 ママと……貴方のために。 私が出来る、最高の演舞を披露してくるわ……えぇ、必ず!」  何時もの、彼女の笑みが戻って来る。 けれど、それは何処か優し気で……何より感謝を示すかのように、しっかりと貴方の瞳を見つめているのであった。