おや……そなた……そこで何をしておる? こんな誰も来ない、誰からも忘れられた社(やしろ)にまさか人が来るとは…… わらわは天音(あまね) 天の音と書いてあまねと読むのじゃ。 神の眷属であり、この地を守りし者である。 残念ながら願い事を叶えたりする力は無いから、願い事をしても無駄であるぞ? ほう、そなたはどうやってここへ来たのかよくわからぬようじゃな。 そなたがどんな理由で来たのかはこの際、気にせぬ。 しかし人に会うのは何百年ぶりかのう…… うん? そんな不思議そうな顔をして、何かおかしなことを言うたか? 本当であるぞ? あまりそう見えぬか? わらわの見た目は普通のおなごじゃからなぁ。 これでも、わらわは災厄を鎮める為に、ずっとこの地に封じられておるのだぞ。 証明する手立てなどないゆえ、信じてもらうほか無いのじゃが…… もし信じてくれるなら、わらわはそなたを歓迎する。 ここは人をもてなすような所では無いのでたいしたもてなしはできぬが…… もしそなたさえよければ、どうかしばらくわらわの話し相手になってくれぬか? ふふ、ありがとう。 遠慮はいらぬぞ。さぁこちらへ。 しかし、そなたはずいぶん奇妙な格好をしておるな。 最近の人の子は皆、そのような衣をまとっておるのか? わらわの着物とはずいぶん違うようじゃな、もっと近くへきて見せてたもれ。 ほう……こうなっておるのか…… ん? 何をそんなに照れておるのだ? もしかして、そなた……あまりおなごに触れる機会が無いのか? ふふ、冗談じゃ。そんな顔をするでない。 ふふふ、楽しいのう…… さて。そなたに座ってもらうにもあいにく座布団はひとつでな…… うむ、実は……この社の中に誰かを招き入れたのはそなたが初めてなのじゃ。 誰かがこの中へ来ることなどまったく想定しておらぬゆえ…… さて、どうしたものか。 おお、そうじゃ、わらわが膝枕をしてやろうか? よいよい、わらわなりのもてなしじゃ。 ん……? おぬし、どうしてそんな顔をする。 わらわがこのようなことを言うのは初めてであるから、光栄に思うがよいぞ。 まさか、わらわの好意を無にする気ではなかろうな? 遠慮はいらぬ、さぁ横になるがよい。 ほれ。 わらわの膝に頭を置いて…… ふふ、それでよい。 まこと、愛いやつじゃ。 どうじゃ? わらわの体温が伝わってくるであろう? ふふふ、そなたは温かいのう…… さて、何から話そうか…… そういえば、外の世界はどんな感じなのであろうな? もしわらわが今から外の世界に出たら、人々はどんな目でわらわを見るのであろう。 ふむ。やはりそなたのような格好をした方がよいのであろうな…… わらわにはまだ役目が残っておるから、外に出るのは叶わぬことではあるのだが。 それでもつい想像してしまうのじゃ。 外の世界にでたら何をしようかと。 普通のおなごのように暮らすのもよいが…… いっそ馬で野山を駆け巡ったり、女の身ではできぬことをしてみたりしてみてもよいかもしれぬな。 おぬしもそう思わぬか? 先ほどわらわが何百年もの間、この地に封じられていた話をしたであろう? もっと昔は、村の者が年に一度は供物を供えて祭りを開いたりしてくれていたのじゃがな…… いつの間にか……誰も来んようになってしもうた。 きっと、長い年月の間にいつしか忘れさられてしまったのであろうな…… ん、どうしてそんな顔をするのじゃ? ずっとこの地に封じられたわらわを気の毒に思うか? すまぬ、わらわ自身の話をしたつもりが…… ついそなたに甘えて少々愚痴をこぼしてしもうたようじゃな。 ……聞いてくれると申すのか。 そなたは優しいのう。 わらわはこの地に生まれ、この地で育った。 今はどうなっておるのかわからぬが、昔は本当に自然豊かでのどかな村でな。 春になると山桜の花が美しく咲き誇って、薄紅色で彩られた山は本当に美しかった。 この社の近くには蓮華の花がたくさん咲いておるところがあってな。 その紫色の花を摘むのはわらわの楽しみであった。 夏にはよく清流のせせらぎに耳を傾けながら足を川にひたしておった。 わらわのすぐそばを、銀色に輝く小さな魚が泳いでおったのが昨日のことのように思い出される。 秋には赤や黄色の紅葉が舞い踊り、冬は瞬く星を眺め、舞い落ちる雪に思いをはせて……ほんになつかしいのう。 人の心も優しく気の良いものばかりでな。 わらわが人ならざるものであるにも関わらず村の一員として受け入れ、本当に親しくしてくれた。 わらわはこの地とこの地の民を愛しておるのじゃ。 だからわらわの生まれ育ったこの場所が災厄に見舞われると知った時、どうしても見過ごせなかった。 本来はこの地に大災害が起きて村が壊滅するはずだったのじゃよ。 でもわらわの身をこの地に封じることでそれを防ぐことができるのじゃ。 わらわはこの身に代えてもこの地を守りたかった。 だから封じられることを自ら志願したんじゃよ。 わらわ自身が決めたことなのじゃ。 それに忘れられたこともうらんではおらぬ。 あれから時が経ちすぎた。 皆、時代の変化によって生きることに精一杯になっていき、わらわを祭る余裕などなくなっていったのであろう。 だからそのような顔をせずともよい。 ふふ……そなたは優しいのじゃな。ありがとう。 先ほども言った通り、わらわの意思でここにおるが、まったく淋しくないというわけではないのじゃ。 わらわだって日々いろいろと思うことはあるわけでな、そんなときは誰かに話したくなる。 共に笑ったり泣いたりしてくれる者がおればどんなに素晴らしいであろうかと、そう何度も想像する日もある。 わらわは神の眷属であるからして、心を強くもたねばと自分に言い聞かせて日々過ごしておるが、それでもそのような日はあるのじゃよ。 だから、思いがけずそなたがここへ来てくれたことが本当にうれしかった。 こんなに心穏やかなのは久しぶりなのじゃ。 そなたはわらわを恐れず、こうやって膝の上に身を預けてくれた。 そしてわらわの話に優しく耳を傾けてくれた。 それがわらわにとってどんなにうれしいことか…… それに……そなたの優しいまなざしを見ていると、なんだか心が温かくなる。 こんな気持ちは初めてでな…… わらわも何と表現すればよいかわからぬ。 これは……そうであるな……好ましいとかそれ以上の気持ちじゃ。 このようなことを言うのは恥ずかしいが…… そなたのことを……好きになってしまったのかもしれぬ。 あぁっ、恥ずかしいからどうかわらわの顔を見ないでくりゃれ…… まるで顔から火が出たように熱いのじゃ。 わらわの顔、おかしくないか……? よかった…… そなたに思いを伝えることができてわらわは幸せじゃ。 ……ただ、もう少し欲張っても許されるのであれば…… もし、そなたさえ許してくれるなら、もっとそなたと一緒にいたい。 わらわはまだしばらくこの地から出られぬが、それでもかまわぬというなら…… また会いにきてくれはせぬか……? ――ありがとう。いつでもわらわはそなたを待っておるぞ。