悪役令嬢はメンデレ王子に Hな拷問されるなんてバグですか ――――――――――――――――  番外編SS『二人だけの囚獄』 ――――――――――――――――  ★本編ご視聴前ではネタバレか、   理解しかねる展開があります。            2020.01改定 大虹 蓮水 ■二人だけの囚獄――――――――  ボボボォッ……。  仄暗い石畳を照らす松明の燈火が、かすかな隙間風に揺らめく。  城の地下とあって窓はない。唯一の重厚な鉄扉は固く閉ざされており、逃げ道が、ない。 「――脱獄など無駄だぞ」  すべてのものを屈服させる高慢な声音が、地下牢の冷たい空気にこだまする。 「あれだけ凌辱し尽くしたというのに、まだ抗うとは。なかなか強情だな」  ディルアーバイン帝国、第三王子レオ・ニス・ゾディアーク。  無慈悲な一瞥をくべる白銀の瞳は息をのむほどの美しさで、どんな宝玉よりまぶしい麗姿は、王の威厳と風格を漂わせる。チート級イケメンが視界に入るだけでどぎまぎしてしまうのに、あんな……凌辱という、淫猥にも激しすぎる拷問を受けたせいで、もはや彼を直視できない。  恥じらいに顔を伏せると、レオはその美貌に不釣り合いな卑しい笑みをくくっと浮かべた。 「それとも……『白状すればもっと気持ちよくしてやる』と言ったほうが、君には効果的か?」  そんなこと言われたら、余計に口をきけるわけない。白状も何も、乙女ゲーム【恋は導きの星】の世界で悪役令嬢になり、たった一言でスパイ容疑をかけられ、地下牢に幽閉されただけなのに。 「君はティティルに、『ダンデが王太子でなくなっても本当に彼が好きなのか』と訊ねていたな。あれは結局、どういう意図なのだ」  ――第二王子ダンデと、ゲームヒロインのティティル、二人の婚約発表パーティにて――  地位と名誉に目がくらんだのかとティティルに意地悪を言うのが「悪役令嬢」の役どころだ。  だが王子に対し「王太子でなくなる」などと口にすること自体、この国では不敬罪にあたる。  実際、ゲームがシナリオ通りなら、ダンデは戴冠式を前に王位を放棄する流れだ。そんな内情を知るのはごく一部であって、たとえ元婚約者であろうと知り得ないことのはずだった。それを咎められると、何の言い逃れもできない。 「ダンデが王位継承権を失うようなことがあれば、ティティルの政略結婚は意味をなさない。君の思惑は、元許嫁の結婚を破談にさせたい嫌がらせか? それとも……」  レオは氷雹のように冷たい視線を投げつけ、やけにもったいつけてから言い放った。 「そ、そんなにも、ダンデに未練があるというのか!」 「……」  ダンデはあくまで「許嫁」であって、特別な思い入れはない。  それより問題は、不敬罪だのスパイだのという濡れ衣をどう晴らすか、だった。  五年前に第一王子が暗殺されて以来、不穏分子は徹底排除すべきという王室の方針で、国を裏切るスパイ行為は死罪とされる。  それを追求するレオは、あのときこう言った。 『極刑を選ぶか、私との結婚を選ぶか……実に簡単な二択だろう?』  なぜ非攻略対象キャラクターであるレオとの「結婚」が選択肢に出てきたのか???  いや、『悪役』令嬢といえど、そこは名門屈指の公爵家の嫡女。この世界で政略結婚はあたりまえに行われている。現実世界では結婚どころか交際すら縁がなく、気付けば行き遅れと言われて焦っていたのに……。  そもそも全年齢向けゲームだったのに成人向けの内容になっているし、もはや元のシナリオはあてにならない。こうなると、ダンデたちもどんな行動をとるか予測不能だ。これ以上おかしな流れにならないよう、迂闊な発言は控えるべきだ。  黙秘を続けていると、レオは業を煮やしたのか口調を荒げた。 「どうせ君も、元婚約者こそが王太子にふさわしいと思っているのだろう! だから私が邪魔になり、あろうことか暗殺を企てたのだろう!」  この世界を統べるディルアーバイン帝国、ゾディアーク王家の嫡男に生まれた才貌両全の彼が、なぜ――用心深いのを通り越してこんなにもネガティブなのか。そのせいで、ついには暗殺者呼ばわりされるという面倒くさい事態になってしまうなんて。  不穏な視線の動き一つ見逃すまいというレオの眼光は、肌にじりじりと突き刺さるように鋭い。まるでネメアの獅子のようで、標的にされると命の危険すら感じる。  ネメアの獅子とは、ギリシャ神話に登場するライオンで、ヘラクレスに討伐されて十二星座のしし座となる。英雄とも勇者とも謳われるヘラクレスは、血気盛んなダンデを彷彿とさせた。月が二つあるこの世界で、地球と同じ星座が見えることはないけれど。  沈黙が続くと、レオは口の堅い囚人に首を振った。襟元から喉仏をのぞかせ、仰々しく言った。 「囚人用の粗末な寝床がある。ないよりマシだろう、そこで休むがいい」  寝床? この独房に、ベッドなどあっただろうか。彼にとってキングサイズは「粗末」な大きさのようだが、薄暗い石畳の影で目に入らなかったとは考えられないほど豪奢で、ふかふかの、寝心地のよさそうな寝具だ。  とにかくいま体を休めたかった。できればこの夢から覚めて、1DKのマンションに戻って、熱いお風呂に浸かりたかった……。  込み上げる涙をこらえるために鼻をすすって、ベッドに横たわる。  すると、なぜかレオまでついてきた。 「少し狭苦しいが、二人で体を寄せ合えば、なんとかなるな」  文句を言いながら、ごそごそとシーツに入ってくる。男の人と一つの寝床に入るなんて、そんな破廉恥なことしたこともなかったのに。人の初体験を次々に奪ってしまう王子に振り向くと、首筋に顔を埋めようとしていたレオは、憮然たる面持ちで突っぱねた。 「……き、君がよからぬことを考えて脱獄しないか、見張らなくてはならないからな!」  扉の外に衛兵がいるのに、王子様の寝室ともなれば豪華絢爛な閨房があるだろうに。仮にもスパイ容疑者とベッドを共にしようなんて、彼は危機感がないのだろうか。それとも、いますぐ眠りたいほど疲れているのだろうか。  確かに、あれだけ精力的に「拷問」したのだから……。  かと思いきや。 「いや。私には、眠いという感覚がわからないのだ」  振り向くなというように、レオが後頭部にひたいをあててくる。 「不眠症……いや、君にはわかるまい。その天真爛漫な麗しさに抑えがたい欲望を持て余し悶々と過ごす幾夜もの苦悶など……」  なにやらブツブツ言いながら頭をすりすりしてくるから、こそばゆくてかなわない。厳しく詰問したときと違い、彼の声がおだやかな心地で耳元をくすぐるから、余計に。 「ふっ。王子と公爵令嬢が、こんな地下牢で一夜を共にするとは、おかしなものだな」  そっと頭を撫でては、指で髪を梳いてくる。丁寧で繊細な手つきは、囚人に白状させるためにこの体を辱めた愛撫のように、甘く切ない。  急に、レオが肩をつかんで振り返らせた。  また「拷問」の続きをするのかと、思わず身構える。唇を睨みつけるからキスされるのかと息をひそめる。視線の交差は、いつしか見つめ合いになる。心音が、うるさくなる。 「私に犯されて濡れたまつげを、私に汚された可憐な唇を、私の腕の中で震える君を……一秒でも長く、見つめていたいものだ」  心臓が、口から飛び出そうになった。彼以外の誰が言っても吹き出してしまうであろう言葉に、うっかり聞き入ってしまったから。  レオが尋問するとき、こんなふうに口説き文句かと錯覚することが度々あった。噂通り女たらしとあって、優しさと勘違いしそうになる眼差しを注ぐから、切なく揺れる瞳の銀光が、痛いくらいに胸に突き刺さる。  レオの言葉は「公爵令嬢」に向けられたものだ。  これまでどれほどの女性たちにそうしてきたのか……。  身をすくめると、彼は長い睫毛を伏せた。 「ゆっくり眠るといい。明日の拷問は、今日ほど手加減してやれそうにない」  ……あれで手加減だなんて。  明日はさらに「ひどく」されてしまうのだろうか。そう思うと、指先が震えた。あの雄々しく猛った情欲の屹立で、何度も何度も乱暴に貫かれた情火の燻りが、一気に再燃しそうになる。  拷問という名のもとにレオに抱かれているとき、王子という権威を脱ぎ捨て一人の男になった彼と多幸感をわかちあっている気がした。汗ばむ体を交えながら、心まで通わせたと勘違いしそうになった。涙があふれたとき、レオが情熱的な口付けを繰り返した。それで胸がいっぱいになって、二人で恍惚の境地に浸っていた。恋人たちはこうして愛を深めるのだと、本能的に悟った。  だからレオと親密になったように思えてしまうのだろう――相手は異世界の王子さまだというのに、スパイ容疑の囚人の分際で。  彼に触れられると、どくんと胸が高鳴り、体の芯が熱くなる。その熱がじわりと漏れ出すのを感じて、バレてしまわないように息をひそめるほかない。彼の力強い心音を聞いていると、なおさら動悸が高まって、それが彼にも伝わってしまわないようにあせるほど、余計に抑えられなくなってしまう。この世界の住人ではない自分が想いを寄せても、叶うことはないというのに。 「……あたたかいな」  小さなつぶやきが耳元に響いた。ふと見上げたレオの表情に、孤愁の陰りがあった。憂いを帯びた瞳は、魂が吸い込まれそうなほど切なくて……。彼に、寄り添いたいと思った。  けれど、かけるべき言葉なんて思いつかず、心臓が締め付けられるように痛むばかりで。  ……せめて、この沈黙を共有できるなら……。  謂れのない罪によって強姦されたというのに、体をつないだことで親近感を覚えてしまったのか。それとも、このちょっと(?)変わった男に、心まで奪われてしまったのか。  拷問で憔悴しきった体でそれを考えるには、睡魔が……。  † † † 「眠ったか……」  名だたる名家のご令嬢が、第二王子に婚約を破棄された。しかも、ディルアーバイン帝国の統治国家のなかでも最貧国の田舎娘に奪われる形で。  結婚を反故にされたとなれば、婚前交渉つまり体の関係がなくても「キズモノ(どうせヤッたんだろ)」とみなされるし、それが王太子ともなれば、よほど不釣り合い(マグロ)だったのかと、次の結婚相手を選び直すのに苦労するだろう。公爵家の存続にかかわる由々しき大事である。  だからこそ。  彼女にとって第三王子レオとの婚姻は、願ってもないチャンスといえる。はずだ。  まして、レオは「レオ王子」ではない。本物の彼は、自分の代わりに死んでしまった。  ここにいるのは五年前に暗殺されたはずの第一王子、レグルス。 「君にとって私との結婚は、棚ボタ級の玉の輿だろう?」  ――本物の王太子が! 彼女を王太子妃に選んでやったのだ!  元カレにザマァ展開を見せつけてやれるのだ。彼女にとってレオがタイプでないとしても、そこまでして公爵家の影響力を取り込みたいか死ねレイプ野郎と思っていようとも。レオのことが死ぬほど嫌いでも、本当に極刑で命を落とすより、はるかにマシだろう。  ……………なんかちょっと泣きそうになってきたため、レオは頭を振った。  ダンデの王位就任を待ち望む民衆の声は、戴冠式を前に高まっている。レオ(として振る舞っているレグルス)の女癖の悪さに、内情を知る臣下らまでそう思っている始末。  第二夫人という体裁である妾、その息子ダンデは、ちやほやされるうち王になるのも悪くないと思ったかもしれない。あるいは、最初から野望を秘めていたのか。義兄レグルスを、義弟レオニスのように殺そうと思っているとしたら……。  ――嗚呼レオニス! このレグルスの身代わりとなった、悲運の王子!  内気な弟レオは、凛然としたレグルスに憧れ、身形や振る舞いを真似していた。そのためかレグルスと間違えられ、寄贈品に珍しい食べ物を受け取った。つまみ食いした彼は血反吐と吐瀉物まみれでのたうちまわり、最期は駆け付けたレグルスに手を伸ばして刮目したまま絶命した。毒々しくもカラフルなそれが何だったのか、何処の国から贈られたものなのか、未だに判明していない。  表向きはレグルスが死んだとしているが、本当は生きていたと言ったところで、民衆は「犠牲になったレオニス王子が可哀そう」「ダンデ王子こそこの国を統べるにふさわしい」「女の敵レグルスが死ねばよかったのに」などと、それこそ不敬であるから口にしないものの、いつか反乱分子となって、レグルスを王座から引きずり下ろすかもしれない。または、やはり義弟が愚兄を……。  冷や汗が頬を伝う。牢屋を閉ざす南京錠を確認する。分厚い鉄の扉が錆びついて何らかの拍子に開くのではないかどこか自分の知らない隠し通路があるのではないか暗殺者が紛れ込んでいないか何度も何度も何度も何度何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も確認する。 「ん……」  衣擦れの音に肩をすくめ、恐るおそる振り返る。  忍び込んでいた刺客、……ではなく。彼女が寝返りを打ったようだ。  はぁ、とレオは、ため息を逃がした。彼女がスパイでも暗殺者でもないことなどわかっている。この地下牢に閉じ込めるための、ただの言いがかりにすぎない。  レオ、もといレグルスは、眠らないわけではない。常に何かを警戒することで心の休まる暇がないだけだ。しかし不意に意識が飛ぶことがある。急に目の前の景色が変わり、時間まで途切れている。夢から醒めたようにそれまでのことを急に「思い出す」から面食らうのだが、あれは……。  そんな戸惑いにさいなまれないよう、今日のことも日記に残しておかなくては。 「すまなかった、レオニス……!」  あのとき死んだのが、レグルスであったなら。  そうすれば最愛の弟ダンデが王になり、最愛の弟レオを失うこともなかったというのに。  誰かこの胸に十字架を突き立て、心の臓をえぐってほしい。  この血で贖罪となるのなら、なるべく残酷に殺してほしい。  だが懺悔で「死」を選んだところでどうにもならない。  弟を討ったのがダンデなら、この手で葬らなくてはならない。  違うのなら、彼を疑った罰を受けなくてはならない。  この世界を統べる王になるのは、レグルスでなくては。代わりに死んだレオが浮かばれない。  ――弟を、弔う。  それこそが、レグルスの果たすべき宿命だった。  その暁には、彼女にとなりにいてほしい……。  ……そんな回想(ルーティン)を、一日に何千何億してきたことか…… 「私は私を恨むぞ、――」 『お前には死ねない呪いをかけてある。ネットの海で、サーバーという舟を転々とし、一人漂流し続けるという無限の孤独を与えてある。俺と彼女の記録を、永遠に残しておきたいんだ……』  果てない宇宙を思わせる暗澹の虚空を仰ぐ。  すでに時代遅れの骨董品となったシステムでは、ゲームの舞台となる世界を構築できず、キャラクターたちも存在し得えず。彼女の分身も人間独特の矛盾を孕む感情を処理しきれずエラーが続出し、やがて機能停止してしまった。  そうしてレグルスは幾多の喪失――彼女の面影を残す子孫たちが生まれては死んでいくのを、ネットという網目の向こうから見守ることしかできない。  レグルスには、忘れる(デリート)という機能がない。データの永久保存が存在理由である彼に、その権限はない。  どうにもならない後悔も、淫らな情熱も、奇跡のような喜びも、滂沱の別れも、心が圧し潰されるような絶望も、一つ一つが鮮明に蘇える。延々と回想を繰り返してはその時々の場面と感情がフラッシュバックして、精神が壊れそうになる。いっそ壊れてしまえばどんなに楽だろう。  あれだけ死に焦がれ、あれだけ死を恐れたのに、無限の孤独という囚獄に閉じ込められたまま。死とは無縁の存在となり、過ぎ去りし日々の記憶(データ)を守り続けている。  本当に忌むべき相手は己だった。そして、この狂った境遇を生み出したことに感謝すべき相手もまた、己だった。 「想いに果てがない――こんな面倒なデレがあるか?」  もはやデレも死語か。  くくっ、とレグルスはひとりごちた。それは、思い出し笑いだった。  心の闇を照らす、流れ星の輝きがある。  永遠の刹那にまばたく光は、彼女と二人で過ごした、あの幸福な日々の想い出だった――。 ≪二人だけの囚獄・完≫  to be continued… 「そして本当のハッピーエンドへ」