あの頃の――小さな僕は、弱かったんだ。体も小さかったし、声も小さくて。言いたいことも言えなかった。だから、僕に対して絡んでくる男の子も多かった。  「お前、髪の毛染めて来いよ! 校則違反だろー!」  「――僕、生まれた時からこの髪の毛で――」  「黒髪じゃなきゃいけないって書いてあるんだから、染めて来いよ。染められないなら俺達が染めてやるよっ!」  放課後、習字の時間に使った墨汁を手に迫ってくる男の子。付き飛ばされて地に這う僕。  先生のいない所で、彼は僕によく意地悪をした。――止めてと言っても直らない。だったら僕は我慢するしかない。そう思って、今日も耐えようと目を閉じた瞬間だった。  「やめなさいっ! ノア君は問題ないって先生言ってたでしょ?」  「げっ、転校生」  「先生呼んできたから。――いじめはいけないんだよ」  「転校生の癖に、生意気なんだよ」  「――生意気でいいもん。先生来るよー」  "彼女"は、一週間前にこの辺りに引っ越してきた女の子だった。機転の利く"彼女"の振舞いに手も足も出なくなった男の子は、ひとしきり思いつく罵詈雑言を吐いて、校門から勢いよく出ていく。  「ノア君。大丈夫だった? ――お家、近くだったよね。今日から一緒に帰ろう」  小さな僕はそれを――ただ、呆然と見ているしかなかった。話したこともなかった"彼女"は転んでいた僕に手を差し伸べる。それが、僕の初恋の始まりだった。  あの日から僕は強くなることを願った。目の前の勇敢でcleverな彼女を護りたいと、思ったんだ。 ********  「ノア君?」  「何だい?」  「――少し遠い目をしてた。何かあった?」  「君と出会った日のことを思い出していたんだよ」  麗らかな午後、暖かな日差しが降り注ぐ公園のベンチで、サンドイッチを食べる"彼女"は僕の恋人だ。  あれから18年。小さな僕の手は随分と大きくなった。背丈も"彼女"を追い越し、"彼女"の体をすっぽりと包めるほどに体も成長した。"彼女"は僕が作ったサンドイッチを美味しそうに頬張り、唇の端にパンくずを付けて、僕に笑いかける。  「――僕はね、絶対に忘れないよ。ずっとね。嬉しかったんだ」  「私としては当たり前のことだったんだけどね。――卑怯なの、嫌だったし」  「当たり前のことをできるって素晴らしいことなんだよ」  "彼女"の唇の横についてパンくずを指先に摘まんで取って、恥ずかしそうにする"彼女"の頭を撫でる。――不器用で、まっすぐで、いつも他人に優しい"彼女"は、自分には厳しい。  だからこそ、僕の前では自然体でいて欲しい。もっと自分を愛して欲しい。そう願って僕は声をかけ続ける。君の心が折れないように寄り添って護ると願った、あの日の小さな自分の誓いを守り続ける。  「僕は褒めるよ。君を。――僕は君に救われたんだから」  「イギリスの人って、すごく愛情表現ストレートなんだね。――恥ずかしくなっちゃう」  「ふふ、イタリアの人には負けるよ。でも、言い続けるよ。愛は伝えてこそ、だから」  手を繋ぎ、握る。柔らかく握り返されるその手を、僕はもう一度、握りしめた。