白萩「神様、どうか私のお願いを聞いてください。」 寂れた神社に少女の声が響く。 辺りはまだ薄暗いが、少女の声に同調するように小鳥が鳴き始めた。 騒がしい…二度寝は無理そうだ。 寝ぼけまなこを擦りながらぼんやりと声の主を探すと、強く目を閉じ、手を合わせて祈る少女を見つけた。 あまりにも切実なその姿はどこか懐かしく感じる。 白萩「神様…私にお友達をください。」 白梅「人が来ること自体珍しいのじゃが、願い事も珍しいのう。」 白萩「えっ…!」 屋根からサッと、少女の前に飛び降りた。 少女の黒い瞳は、驚きながらもこちらをジッと見つめてくる。 白萩「あなたは…神様ですか?」 白梅「神様?…う~む、おそらく違うのじゃ。わしは見ての通り狐じゃ。」 白萩「お狐さま?でもそのお姿は…」 食い入るように見つめてくるその視線に、少々気恥ずかしさを感じる。 そういえばこの姿で人前に出たことは一度もなかった気がする。 白梅「お主の疑問はもっともじゃ。わしはもともと人間じゃからの。」 白萩「人間のお狐さま…」 耳と尻尾を交互に見られている気がする。 白梅「そうじゃぞ。耳も尻尾も本物じゃ。触ってみるかの?」 白萩「いいんですか!」 今までにない食いつきだ。 自分も最初の頃はずっと尻尾を触っていたことをふと思い出した。 白梅「ほれ」 尻尾を差し出すと少女は躊躇なく撫で回す。 白萩「は~、もふもふ…もふもふ…」 幸せそうな顔をして何度も何度も。 ものすごくくすぐったい。 白梅「そ、そろそろいいかの?」 白萩「あっ、ごめんなさい!」 言葉とは裏腹に手は名残惜しさを隠せていなかった。 白梅「それはそうとお主、願い事をしていたようじゃの。」 白萩「あ…はい。友達が欲しくて…」 白梅「友達、のう。村には年の近い人間はおらぬのか?」 白萩「いるんですけど…みんな私によそよそしいんです。物心ついたときからそうでした。    でもお姉ちゃんがいて!お姉ちゃんはすっごく優しかったんです!でも…」 白梅「でも?」 白萩「お姉ちゃんも少し前から人が変わったように私にきつく当たるようになって。    私が悪かったのかなって思って何度も謝ったんですけど…」 白梅「姉がもとに戻ることはなかった、と。」 白萩「はい」 孤独な少女、か。 白梅「お主、名前はなんというのじゃ?」 白萩「あ、あの、白萩、です。」 白梅「白萩…よし、ハギじゃ。わしは白梅。今日からお主の友達じゃ!」 白萩「ふぇっ!」 白梅「なんじゃ、わしじゃ不満かの?」 白萩「ないです!そんなことないです!白梅さまがお友達になってくれて嬉しいです!」 白梅「“さま”はやめるのじゃ。呼び捨てで構わんし敬語もいらんのじゃ。友達じゃからの。」 白萩「じゃあ…白梅ちゃん!」 きらきらと輝く白萩の目はとても純粋に見えた。 きっとこれが本来の彼女なのだろう。 白萩「白梅ちゃんはずっとここに住んでるの?」 白梅「そうじゃ。ずっとここで季節の流れを見てきたぞ。数十年…そろそろ百年になるのじゃ。」 白萩「そんなに!?私と同じくらいの年に見えるのに。」 白梅「狐になってから容姿が変わらなくなったのじゃ。」 白萩「それはちょっと羨ましいかも。」 白梅「じゃろう?白萩も狐になりたかったらいつでも言うんじゃぞ。」 白萩「あはは!考えとくね!」 明るく笑うその顔に陰りはなかった。 いつの間にか太陽は高く登り、爽やかな風が頬をなでる。 この時間が少しでも長く続けば、そう願った。 白萩「すぅ…すぅ…」 白梅「よく寝ておるのじゃ。」 白萩の話は特段珍しいものではなかったが、嬉しそうに話す白萩の姿は見ていて楽しかった。 普段あまり人と話すことはないのだろう。 引切りなしに話をしているうちに、疲れたのかまぶたが落ちていた。 膝に頭を乗せてやると、すやすやと、すぐに寝息を立て始めた。 白梅「幸せそうな寝顔をしおって。」 撫でた髪は柔らかかった。 カァカァと鳴く声が空にこだまする。 もうそんな時間か。 白椿「白萩、白萩ー!どこにいるの?」 白梅「ふむ?」 かすかに白萩を呼ぶ声が聞こえた。 焦りを含んだその声は少し白萩に似ていた。 白椿「白萩ー!白萩ー…あっ!」 白梅「しーっ!」 賢いのだろう。少女は口に手を当てると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。 肩でしていた息が、近づくにつれ落ち着いてきたようだ。 白椿「白萩…」 白梅「疲れたのか寝てしまったのじゃ。それでお主は?」 白椿「はい、私は白椿。白萩の姉です。」 白萩から聞いていた姉の姿とは違っていた。 いや正確には昔の姉の姿だろうか。 白梅「わしは白梅。この神社に住む狐じゃ。」 白椿「お狐様…そういえばひいお祖母様から聞いたことがあります。    この神社のお狐様ついて。」 白梅「そうか。じゃあお主…ツバキと呼ぶぞ。ツバキは、祭のことも知っておるのじゃな。」 白椿「はい…」 納得がいった。孤独だった白萩のことも、冷たくなった白椿のことも。 白梅「まぁよいのじゃ。ハギを探しに来たのじゃろう?」 白椿「そうです!…ふふ、幸せそうな寝顔。」 心から心配していたのだろう。ハギを見るその瞳は暖かかった。 白椿「日も暮れますし連れて帰ります。白萩を笑顔にしてくれたこと、感謝します。」 白梅「わしも楽しく過ごさせてもらったのじゃ。また来るように伝えて欲しいのじゃ。」 白椿「はい。それでは失礼します。」 白萩を背負い、ゆっくりと神社を後にしていった。 白梅「良い姉じゃ。だからこそ辛いのじゃろうな。」 つぶやいたその声は黄昏とともに消えていった。 白梅「白萩、それに白椿、か。」 この村の習わしに沿った名付けだろう。 同じ運命を辿る予感に、どうしても顔が曇ってしまう。 白梅「それにしても今日は久しぶりに楽しかったのじゃ。」 暗いことを考えるのは性に合わない。 それなら楽しいことが長く続くようにしたい。 そう、影はすぐそこまで迫ってきているのだから。 白梅「もうすぐ祭の季節じゃな…百年に一度の。」 狐になって変わったことが四つある。 一つは見た目。尻尾と耳が生えた。もふもふで気持ちいいのだ。 次に五感が鋭くなった。感度の調節もできるから日常生活で困ることもない。便利なものだ。 そして不老不死となった。いや厳密に言えば老化も死もあるのだが、人間からすれば途方もなく長い年月。似たようなものだ。 最後の一つは…まぁ今はいいだろう。 白梅「にぎやかになってきたのじゃ。」 村の方では祭の準備が進んでいるようだ。 一里ほど離れたこの神社から見聞きできるのも狐だからこそ。使えるものは使っていこう。 白梅「さて、ハギはどうしておるかの。」 人の多いところには…流石にいない。 少し離れたところで小物を作っているようだ。 それを気にするものは誰もいない…いや、白椿はチラチラと様子を確認している。 白梅「素直じゃないのう。」 白萩はそれには全く気づかずに淡々と作業を進めている。 口を閉じたまま淡々と。 白梅「…ふむぅ。」 空を見上げた。秋空に雲が浮いている。大きな雲と小さな雲。 白萩はこのままだと自分のようになるだろう。 それで幸せになれる人は誰か。 不幸になる人は誰か。 小さな雲はいつの間にか消えていた。 白梅「わしが考えてもしょうがないのじゃ。」 横になり、目を閉じる。 寝付きはいいのが自慢だ。 程なくして睡魔が訪れた。 明日は良いことがありますように、と願いながら夢に落ちていった。 白萩「白梅ちゃ~ん!遊びに来たよ~!」 白梅「う~ん…ハギか…?」 寝付きに対して寝起きは悪いのが欠点だ。 一つ伸びをして…いや、もう一回追加で伸びをして立ち上がる。 白萩「おはよう白梅ちゃん。結構ねぼすけさんなんだね。」 白梅「朝は昔から弱いのじゃ~。」 白萩「そうなんだ、ふふっ。」 楽しげに笑う白萩に昨日の面影はない。 白梅「して、何をするのじゃ?」 白萩「これとかどうかな?昔お姉ちゃんとよく遊んだんだ~。」 白梅「お手玉か。懐かしいのじゃ。」 狐になる前に遊んだ記憶がある。こう見えて手先は器用だ。 白萩「はい、これが白梅ちゃんのぶんね。」 白梅「うむ。」 白萩「じゃあいくよ~。」 白萩・白梅「あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ       くまもとさ くまもとどこさ せんばさ       せんばやまにはたぬきがおってさ       それをりょうしがてっぽでうってさ       にてさ やいてさ くってさ       それをこのはで ちょいっとかーぶーせ」 白萩「わぁ!白梅ちゃんうま~い!」 白梅「ハギこそ、わしについてくるとはやるではないか。」 落としそうになったのは気づかれなかったようだ。 白萩「じゃあ今度はもうちょっと早くやろう!」 白梅「の、望むところじゃ!」 白萩の目が光った気がした。 白梅「は…ハギは上手いのじゃ…」 白萩「そんなことないよぉ~えへへ。」 最後はもう早すぎて目で追えなかった。意外な一面があるものだ。 白萩「そろそろお昼だね。白梅ちゃんは普段何を食べてるの?」 白梅「狐になってからは腹が空かなくなったのじゃ。気が向いたときに木の実を取って食べるくらいじゃの。」 白萩「えっ、そうなんだ…じゃあこれいらないかな…?」 おそるおそる取り出した包みの中にはきれいな狐色が見えた。 白梅「おいなりさん?」 白萩「お狐様だし好きなのかなって。」 白梅「狐になってから食べた覚えがないからのう。どれ。」 舌に触れた途端、体に雷が落ちた。落ちた足元からぞわぞわとした何かが込み上がってくる。 いても立ってもいられず、かぶりつく。 白萩「わわっ、すごい勢い…まだたくさんあるから食べていいよ。」 こんなに美味しいものがいまだかつてあっただろうか。いやない。 きれいな狐色にしか見えなかったそれは、夕日のように輝き、こぼれ落ちそうなくらいの旨味が凝縮してみえる。 まさに神の供物だ。神に感謝しながら食べ続けた。 白梅「ごちそうさま…美味かった…美味かったのじゃ!白萩、美味かったのじゃ!」 白萩「はい、お粗末さまでした。ふふ、そんなに喜んでもらえたら作ったかいがあったよ。」 白梅「わしも新発見だったのじゃ!長く生きてもまだまだ知らないことがいっぱいあるのじゃ!」 白萩「あはは、白梅ちゃん興奮しすぎだよ~。」 白梅「狐になってからこんなに興奮したのは初めてじゃ!白萩がおいなりさんを作ってきてくれたおかげじゃ!」 白萩「私のおかげ…」 白梅「そうじゃぞ!あんなに美味しいものをくれた白萩はわしの大親友じゃ!」 白萩「もう、物で釣ったみたいじゃない。ふふっ。」 白梅「あははっ。」 二人で笑いあった。神社に響くその声は暖かなものだった。 白萩「日が暮れてきちゃったね~。」 あれからまた遊んで、話して、いつの間にか夜が近づいてきていた。 白梅「そうじゃ、ハギ、ちょっとついてくるのじゃ。」 白萩「白梅ちゃん?どうしたの?」 白萩は疑問を感じつつも素直についてきてくれた。 神社の脇道に入り、森の獣道を通る。 記憶している限りでは、自分意外にこの道を通った人間はいないはずだ。 程なくして森を抜け、高台に辿り着く。 高台から見えるのは村の反対側。湖と西の空が見渡せる。 白萩「あ…きれい…」 白梅「じゃろう?」 斜陽は湖を染め、金色(こんじき)に輝いていた。 それは、普段よりもずっと綺麗で大切な光景に思えた。 今まで長い年月、空虚な時間を過ごしてきた。 それもこの一瞬のためだったのなら、無駄ではなかった、と。 白梅「ハギは大切な友達じゃ。また今日のようにたくさん遊んで、たくさん笑って、この場所で夕日を見ような。」 白萩「もちろんだよ!えへ、白梅ちゃん、これからもよろしくね!」 白梅「うむ!」 またこの場所で会えることを、今はただ、心の底から祈った。 日に日に村の方はにぎやかになっていく。 普段のひっそりとした村からは打って変わって、少し派手なくらい。 子供は――ハギとツバキを除いて――明るく元気だ。祭を楽しみにしているのだろう。 そうだ、祭は楽しいものだ。 しかし本来、祭とは神への祈り。 なぜ祈るのか。決まってる、”何かが起こるから”、だ。 それは不作であったり、天災、疫病など人間には関与できない事象。 神がいるのか、それはわからないが、祈る以外にできることはないのだろう。 この村は土地柄、食料にも恵まれ、寒暖の差も少なく平穏な場所だ。 しかし100年に一度、大きな災いが起こるといわれている。 知っているのは年寄りくらいなものだろう。 そしていま準備している祭、これも100年に一度執り行うものだ。 神への祈り。 その祈りはどうか清らかなものであって欲しい、そう願わずにはいられなかった。 白梅「ハギ…?どうしたのじゃ?」 白萩は泣いていた。 空の賽銭箱にもたれ、うずくまり、声もあげずに泣いていた。 祭の準備も終わったのだろう。村の方もひっそりとしていた。 その静けさを例えるなら、暗闇。 広がる暗闇に出口はなく、逃げることは許されない。 白萩「白梅ちゃん…」 か細い声で名前を呼ぶ白萩に生気はなかった。 白萩「白梅ちゃん…私…私、イケニエなんだって…」 白梅「イケ、ニエ…」 予感はしていた。 100年に一度の祭。孤独を強いられる少女。 あの時から何も変わっていない。それに憤りすら覚えた。 白萩「死にたくないよぉ…」 白梅「ハギ…」 悲痛な叫びが耳にこびりついて離れない。 白萩を助けたい。この子の泣き顔を見たくない。 自分のようになってほしくはない。 白梅「ずっと孤独で、最後はイケニエになる。忌まわしき村の掟じゃ。    こんなこと、許されるハズないのじゃ。    ハギ、わしの昔話を聞いてくれぬか。」 白萩「昔…話…?」 白梅「そうじゃ。わしが人間だった頃の話…もう100年も前じゃ。    わしは一人っ子じゃったが、生まれた頃から親の愛情を受けずに育った。    不憫に思った隣の家のばあやが世話をしてくれての。    この言葉遣いもばあやを真似して覚えたのじゃ。    わしが14になったころ、今と同じように祭をやることになった。」 白萩「おまつり…」 白梅「気づいたようじゃな。    そう、その時のイケニエがわしじゃ。    イケニエに選ばれる家は決まっておるようでの。    わしがイケニエになるとわかっておったから、親は見捨てたのじゃろうな。」 白萩「白梅ちゃんも、私と同じだったってこと…?」 白梅「そうじゃな。」 白萩「そっか…」 白梅「イケニエとして祀られた時のことは覚えてないのじゃが、気付いたらこの姿で神社に寝ておった。    どうにも村の衆にはわしの姿が見えないようでの、それから100年、自由気ままに生きてきたのじゃ、ははは。」 白萩「白梅ちゃん…でもその100年は、ずっと一人だったんだよね。」 白梅「まぁ、そうともいうのじゃ。ハギやツバキに見えておるのは、イケニエの可能性があるからなのかもしれぬな。」 白萩「お姉ちゃん…そっか、お姉ちゃんが冷たくなったのは私がイケニエだと知ったから…」 白梅「そうじゃろうな。仲が良ければ良いほど、別れもつらいのじゃ。」 白萩「よかった…嫌われたんじゃなかったんだ。」 心の底から安堵する姿に、姉への愛情を感じた。 心がチクリと痛む。これはなんの感情だろうか。 白梅「ハギには2つの選択肢がある。    このままイケニエになること。    わしのように狐となり、村の誰からも気付いてもらえなくなる。    イケニエの可能性がなくなったツバキからも。」 白萩「お姉ちゃん…。でも白梅ちゃんには見えるんだよね?」 白梅「狐同士なら見えるじゃろうな。    そしてもう一つ。    イケニエの儀式をやめさせることじゃ。」 白萩「やめさせる?そんなことできるの?」 白梅「狐になってから多少じゃが天候を操れるようになっての。    神のフリをして『イケニエをやめろ』と脅せば儀式もなくなるじゃろう。    イケニエでなくなれば、きっとツバキとも仲直りできるのじゃ。」 白萩「お姉ちゃんと仲直り…したいな。でも…」 白梅「でも?」 白萩「白梅ちゃん言ったよね?    村の人に白梅ちゃんの姿は見えない。    見えるのはイケニエの可能性があるからだって。    じゃあ、イケニエの儀式がなくなったら…」 白梅「ハギもツバキもイケニエではなくなる。わしは見えなくなるじゃろうな。」 白萩「そんな…」 白梅「わしはハギには幸せになってほしいのじゃ。    わしのように孤独に生きることはないのじゃ。」 白萩「白梅ちゃん…ありがとう。」 白梅「さあ、時間もあまりない、決めるのじゃ。」 白萩「うん。私はね…」 白萩「白梅ちゃ~ん、そろそろ起きなよ~。」 白梅「うう~ん、朝は…弱い…のじゃ~…」 白萩「そんなこと言わないで~。ほらほら、おいなりさん作ったから、ね?」 白梅「おいなりさんとな!?」 白萩「そうだよ、私も食べたかったし。    不思議だよね、狐になったら本当に大好きになっちゃった。」 寂れた神社に二人の狐の声が響いた。 二度寝は無理そうだが、まぁいいだろう。 二人で美味しくおいなりさんが食べれるのだから。 白梅「もぐもぐ…そうじゃハギ。夕暮れ時になったらあそこにいかぬか?」 白萩「うん、行こう!二人でまた、あの夕日を見に行こう!」