アラビアン・ナイト ○第一夜 <左 普通> 昔、アラビア半島からペルシャ湾に突き出した所、今で言うカタールに、一人の漁師がおりました。 白髪も少し目立ち始めたかという年の頃で、妻と三人の子供とつつましく暮らしておりました。 ほとんどが砂漠なこの辺り、産業と言えば漁業くらいのものです。 しかし、暖かなペルシャ湾は豊かな漁場で、多種多様な魚に恵まれておりました。 特に、ハムールという魚は絶品でございます。 フライに良し煮物に良しと、何にでも向きますが、わたくしとしては焼いて召し上がるのをオススメ致します。 大きな魚なので、ヒラキにして串を打ち、窯に入れて遠火でじっくりと火を通すのがアラビア流です。 臭みの無い白身魚ですから、味付けはシンプルに塩とレモンをひと絞り。 パリッとした焼き目に、ホロホロと崩れる柔らかい身がとても美味しゅうございます。 アラビアにお越しの際は、ぜひご賞味くださいませ、ふふっ。 さて話を戻しますと、この漁師、漁には少々特殊な流儀を持っておりました。 毎日四回だけ投網を打ち、それ以上は決して打たなかったのです。 なぜそんな決まり事をするのかと言えば、この漁師なりの信仰に従った結果でありました。 アッラーのお決めになられた天命に従おう、自分の暮らしぶりはアッラーがお決めになられる、と。 その信仰の表われが、四回という数だったのでございます。 インシャーアッラー、誠にアッラーのお望みとあらば、裕福な暮らしをする事もあるでしょう。 マスターは、そんな決まり事など、と思われるでしょうか? しかし、事実、この決まりのおかげかこれまで上手くやって来られたのです。 かつてなど大粒の真珠が入った貝を、一度に三枚も引き上げアッラーに感謝の言葉を唱えたものです。 漁師仲間からは大層うらやましがられ、妻からは、 「子供は二人と話しておりましたが、これもアッラーの思し召し。もう一人居ても、いいかもしれませんね。 <左 近い 囁き 色っぽく> ねえ、今夜は張り切ってしまいましょうか、あ・な・た。ふふっ」 <左 普通> (素に戻って)などと囁かれたものです。 そんな漁師ではありましたが、ここの所はと言えば、海へ行っても何の収穫もない日が目立ち、すっかり貧しい暮らしぶりになっておりました。 元来欲の少ない男ではありましたので、派手な生活をしたいなどとは考えません。 しかしながら、可愛い子供達にひもじい思いはさせたくないのが親心というもの。 今日こそは、このカゴを魚でいっぱいにして帰ってやりたいと、勢い込んで海にやって来た次第です。 さあ、肌着を脱いで岩に掛けると、ほつれて結び目の目立つ網を背負い海に飛び込みます。 ドボンと水音を立てて飛び込んだアラビアの海の中は、砂一色の陸とは異なり、色彩豊かな光景を広げておりました。 小さなテーブルが積み重なったかのようなサンゴ礁。 ペルシャ織りのように密なアネモネのカーペットの上で優雅に歩を運ぶのは、透明な体に白と紫の斑紋が入ったイソギンチャクエビ。 その上に、すっと控えるのはアラビアン・ダムセル。 その佇まいと、黒く平たい体にコバルトブルーのドレープ模様をあしらった姿は、アラビアのメイドの異名にふさわしい淑やかさです。 サンゴの間をつがいでひらひらと泳ぎ回るのは、鮮やかな黄色に黒の縁取りをあしらったアラビアン・バタフライフィッシュ。 目もあやなアラビアの海、この海に潜るだけで漁師の心はわき立ちました。 波間にはバンドウイルカが背びれを立て、空ではコアジサシが首をかしげて水面(みなも)を狙っています。 彼らが集まって来るのは、魚の群れがある証。 絶好の漁日和に心も浮き立ちます。 立ち泳ぎで網を放ると、熟練の技で、網は水面にふうわりと広がり、紐の入った輪を先に沈んでいきます。 手元に残した紐をたぐり寄せると、輪が縮まって網に魚が閉じ込められるという仕組みです。 砂浜に上がって、網が底に沈み切るのを待つと、ビスミッラー、アッラーのみ名において、と唱えて紐を引きます。 ……あら、事あるごとにアッラーの名を唱えるのは違和感がありますか? ですが、イスラームではこれが普通でして。 ……いえ、そうですね、マスターは「科学的」なお方ですものね。 他人の信仰というのは、面白くないものというのが相場でしょう。 お話を楽しめなくしては問題ですから、これからは省略する事に致しましょう。 さて、漁師に話を戻しましょうか。 力いっぱい紐をたぐるのですが、紐のばかに重いこと。 どうも岩に引っかかったような感触ではありません、何かとてつもなく大きな物が網にかかっているのです。 そこで漁師は、紐の端を握ったまま地面に杭を叩き込みました。 杭がぐらつかないのを確認し、紐を杭にゆわえつけます。 そして、再び海に潜ると、網には大きな黒い物がかかっているではありませんか。 漁師は固く手を握り、興奮に鼻から泡を吹き出しました。 引いても引いても、網は少しずつしか動きません、引き上げるのは並ならぬ事でしょう。 しかし、これだけの大物の為と思えば何という事もありません。 散々苦労して、やっとの事で網を引き揚げました。 手にはハッキリと紐の跡が残っています。 さあ、獲物とご対面と中身を検めます。 「な〜んだ」、漁師はガッカリして砂浜に尻をついてしまいました。 中に入っていたのはメスのロバの死体だったのです。 もう傷みかかっていますし、イスラームの戒律では死肉を食べるのは禁じられております。 つまり全くの徒労だったのです。 何の為の苦労だったのでしょうか、見れば網も少し破れているではありませんか。 高揚感もすっかり失せて、疲れ切ってしまいました。 しかし、座ってばかりもいられません。 「今日こそは妻と子供に腹いっぱい食べさせてやると決めただろう」 そう思い直し、ピシャリと頬を打って腰を起こします。 網からロバの死体を外すと、破れた箇所を結び、再びザブザブと海に入って行きました。 パッと網を打って、引き揚げようとすると、先にも増す重さではありませんか。 また先程の杭に紐をゆわえて、海に飛び込みます。 網の中には、丸みを帯びた物がたくさん入っておりました。 「おや、これは巻貝か?」 それにしても、なんと沢山でしょう、これだけ獲れればいったい幾らになる事か。 そう考えると疲れも吹き飛んで、紐を引く手にも力が入ります。 「いやー、大変だった」 浜に引き揚げ、ハーッと息を吐きました。 こんなに重ければどれだけ獲れているのやら。 もしかして、また真珠でも入っているのではないかと。 そんな期待もむなしく、漁師は網に掛かった物を見て、また肩を落としてしまいました。 中に入っていたのは壺ばかり、それも泥や砂がたっぷり詰まっていてひどく重くなっているではありませんか。 さて、三度目の正直とは申すようですが、三度目は浜からたぐり寄せられたものの、入っていたのは陶器やガラスの欠片ばかり。 踏んだり蹴ったりです。 いよいよ次は四度目、チャンスはもう一度しかございません。 「これが最後です。どうか、どうか」、と祈りを込めて網を打ちました。 紐を引っ張ると、何やら重い感触が伝わって来ます。 が、突如ピクリとも動かなくなってしまいました。 海底の岩にでも引っかかったのかもしれません。 しかし、勘と言いますか、尋常では無い感じがするのです。 悪寒が漁師の腕を伝って、背筋を走りました。 何かが抵抗、あるいは警告しているかのような。 このまま引き揚げてしまって良いものでしょうか? しかし、嫌な予感がするからと、あきらめてもいられません。 ここであきらめては、今日も収穫はゼロ、くたびれもうけです。 漁師は意を決して海に飛び込むと、やはり網が岩に引っかかっておりました。 網を岩から外してふと周りを見ると、どうしたことでしょう。 さっきまであんなに賑やかだった海に、魚の影一つありません。 不思議に思いつつも、漁師は網を引き揚げました。 中をあらためて見ると、キュウリのように曲がった、鈍く輝く真鍮の壺が一つ入っておりました。 壺の口は鉛の蓋で塞がっており、何やら印璽(いんじ)が捺してあります。 印璽には、「ジャービル・イブン・ハイヤーン」とありました。 漁師は、その名前に心当たりはありませんでしたが、喜びました。 「わざわざそんな物が捺してあるなら、こいつは値打ち物に違いない」と。 長く海の底にあったせいか、くすんでしまってはいますが、磨けば元通りピカピカになるでしょう。 市場に持って行けば、きっと良い値段を付けてもらえるはずです。 壺を手に取ると、ずっしりと重い感触がします。 振ってみると、どうも何かがいっぱいに詰まっているようです。 「一体、中には何が入っているのだろう?」 漁師は、中身が気になって仕方なくなりました。 もし高価な物が詰まっていれば、それに気づかないまま売っては損です。 漁師は小刀を取り出すと、鉛の蓋をこじりにかかりました。 鉛の蓋を取ってしまい、持ってきた籠に中身をあけようと、壺を逆さにして振ります。 しかし、壺からは何も落ちてきません。 ただ、壺の口から煙が一筋、天に向かって立ち上がるばかり。 漁師は、どうした事かといぶかしんで壺をのぞき込んだところ、煙の量はどっと増し、驚いて壺を取り落としてしまいました。 何だこの煙は、と見上げてみれば、なんと煙が恐ろしい魔神の姿を形作っているではありませんか。 「ようやく外に出られたわい」 魔神は、嬉しそうに肩をぐるぐると回しながら言いました。 そして、燃えるように爛々と光る眼をぎょろりと漁師に向けました。 「わしを外に出してくれたのは、お主か?」 漁師は腰を抜かして震えながらも、必死で頷きました。 「そうかそうか、お主が出してくれたのか」 魔神は喜んで漁師に近づいて来ます。 鷹のように鋭い爪の生えた大きな手が、漁師の頭をがしりと掴みます。 <正面 近い> 魔神は、大きな口を漁師の耳元に近づけました。 <右 近い 囁き> (耳吹き)ふー。ふふっ。 ふいごのような息遣いに、漁師はすくみ上りました。 「では、お主には死んでもらおう。どんな死に方がお望みか?」 <左 普通> 魔神は、ニタリと笑います。 大きな口からは牙がのぞき、人間を頭からバリバリと食べてしまえそうです。 その言葉は、漁師の心胆を寒からしめました。 情けなく悲鳴を上げる様を見て、魔神は、さも満足そうに頷きます。 「お助けを、どうかお助けを! なぜ私が殺されなければならないのですか? 私は、あなた様をこの小さな壺から出して差し上げたというのに! 理由くらい教えて頂いたって良いではないですか!」 そうです、漁師からすれば魔神を助けてやった、良い事をしてやったとしか思えません。 助けたが故に殺されるというのは、まるで理解できないのです。 「ふむ、では教えてやろうか」 魔神は、あごに手を当てて言いました。 「かつて、わしは、ジャービルという男に魔術で使役されていてな。 人間に使われるのは、癪なもんだ。 だから、何とか一泡吹かせてやろうと企んでいたのだ。 しかしな、ジャービルは知恵が回る奴だった。 ある日、ジャービルはこの壺を覗き込んで、『これは滑稽だ』と大笑いしておったのだ。 あんまり大笑いするから、いったい何がそんなに面白いのかと、わしも気になったもんだ。 すると、ジャービルの奴、『お前も見てみるか?』とわしに壺を渡してきた。 何が入っているやらと覗き込んだら、壺の中に吸い込まれてしまったのだ。 ジャービルは、壺の口に鉛で蓋をすると、封印の印璽を捺しおった。 わしも、こんな壺壊してやろうと暴れたもんだが、悔しい事にびくともせん。 それを見てジャービルめ、『どうだ滑稽だろう』なんて言いおる。 そして、あろうことか海のまっただ中に放り込みおった。 『そこで反省するがいい。お前が心を改めれば、その壺から出してくれる者も現れよう』と言ってな。 こんな壺に閉じ込められたまま、ずっと海の底なんてのはまっぴらだ。 だから、わしも考えを改めたもんさ。 『ここから出してくれる奴が現れたら、そいつを大金持ちにしてやろう』という誓いを建ててな。 しかし、百年経っても誰もわしを助けてくれなんだ。 そこでわしは考えた、大金持ちにしてやろうというだけでは足りんのだと。 だから、『出してくれたら、大地に隠された古代の宝物庫をくれてやろう』と誓い直したもんさ。 しかし、また百年経っても助ける者は現れない。 そこで、わしは思ったのだ、まだ足りぬかと。 だから誓ったもんさ、 『分かった! わしを救い出してくれる奴があれば、願いを三つ、どんなものでもかなえてやろう』とな。 これが、わしにできる精一杯じゃった。 それでも、助けが現れぬまま、また百年が経った。 わしは、腹が立って、腹が立って仕方なかった。 だから、こう決めたのだ。 『これから先、わしをこの壺から出してくれる奴がいたら、そいつを殺してやろう。ただし死に方は選ばせてやる』とな。 するとこの誓いが良かったのか、お主が現れたというわけじゃ。 さあ、どんな死に方がいい? 望み通りの殺し方をしてやろう」 魔神は溜飲も少しは下がったという様子で、長いあごひげをいじりながらニタニタと笑います。 しかし、漁師もむざむざ殺されるわけにはいきません。 彼が殺されては、妻や子供は一体どうなってしまう事か。 何とか助かろうと難癖をつけます。 「いや、あなた様はこの壺に封じ込められていたとおっしゃいますが、そんな話とても信じれません。 こんな小さな壺に、大きなあなた様が入れるわけが無いでしょう。 恐らく私をからかって楽しんでいらっしゃるのでしょうね。 ですが、私がこの壺から出したから殺すとおっしゃるのであれば、この壺に入れるところを見せてください」 これを聞いて魔神は激怒しました。 「何だと! わしが、その忌々しい壺に閉じ込められていたのが信じれないだと。 いいだろう、よく見ておれ!」 そう言うと魔神の体は煙になって、現れた時とは逆に壺の中に入って行きます。 そうしてしまいには、小さな壺にすっかり収まってしまいました。 「しめた!」 漁師は、大急ぎで鉛の蓋をつかむと、壺の口に栓をしました。 「しまった!」 魔神は、失敗に気づいたものの、時すでに遅し、封印の印璽が捺された蓋はビクともしません。 漁師は勝ち誇って言います。 「お前の願いを聞いてやろう、どんな死に方がしたいかね? そうだ、こんなのはどうだ? 壺をこの海の沖に沈めてやるんだ。 そして、俺はここに石碑を立てる。 何百年経っても壊れない丈夫なやつを。 その石碑には、こう書いてある。 『ここで漁をしてはいけない。 この海には、魔神が封じられた壺が沈んでいる。 助けてやった恩人を殺してしまう、ろくでもない魔神が』とな」 壺の中から、魔神が急にへりくだって言いました。 「へへ、旦那。ご冗談でしょう? さっきのはちょっと、ほんのちょっと旦那をからかっただけでございますよ。 大々々恩人の旦那を殺すなんて、そんな馬鹿なこと」 漁師の恐怖はすっかり消え失せてしまい、代わってムクムクとわき上がって来たのは、魔神に仕返ししてやろう、という思いでした。 「では、この蓋を取ったらどうする?」 「絶対に、ぶっ殺す」 魔神は、ついつい本音が出てしまいました。 「よし、うんと沖に捨ててやろう」 慌てて魔神は、猫なで声で返します。 「いやですよ旦那、今のは言葉のあや、言葉のあやでございますよ。 ここから出して頂ければ、必ず旦那を幸せにしてさし上げます」 そう言われても、漁師には信じられるはずもありません。 しかし、この壺を捨ててしまえば、今日の稼ぎはゼロ、網を破って、ただ疲れただけに終わってしまいます。 漁師としても、この壺を捨てるというのは良い選択とは思えませんでした。 「誓うか?」 漁師はそう問い、魔神の言葉を聞き漏らすまいと耳に壺を近づけます。 魔神は、少し考えてから答えました。 <正面 近い> 先程、省略するとは申しましたが、ここは重要な所。 ですから、こう言わせてくださいませ。 <右 近い 囁き ゆっくり不吉な感じで> 「誓いますとも。ワッラ、アッラーに誓って」 <左 普通> 神に誓ったのを聞いて、漁師は壺の蓋を取ってやりました。 壺の口から、再びモクモクと煙が出て来ます。 「ふー、酷い目にあったわい」 心なしか縮んだ魔神は、外に出て胸を撫で下ろしました。 「それで、お前は一体何をしてくれるんだ?」 「旦那、お耳を」 漁師の問いに、魔神は口を近づけます。 <正面 近い> ところで、印璽に刻まれていた「ジャービル・イブン・ハイヤーン」という名、これはアラビア最高の錬金術師の名でございます。 錬金術というのは、科学の先駆けとも言われているようですが、科学とは決定的に異なる点がございます。 それは、科学が発展を積み重ねて未来を志向する学問であるのに対し、錬金術は過去を志向する点です。 錬金術というのは、既に完成した技術。 地球を創造された神の御業の模倣であり、それに成功した過去の錬金術師の技の再現なのでございます。 故に、魔神が囁いたのは錬金術の奥義でございました。 それは、堕天使ルシファーの額より零れ落ちたエメラルドの板に刻まれた原初の錬金術師の言葉。 錬金術は過去へ、過去へとさかのぼるもの。 ですから、あらゆる錬金術の書は源流たるこの言葉の解説にすぎません。 <右 近い 囁き ゆっくりと不吉な感じで> 真実にして真正。疑う余地は無い。 上方のものは下方のものに、下方のものは上方のものに由来する。 唯一のものによる奇跡の業。 万物が唯一のものから生まれたように。 その父親は太陽、母親は月である。 大地はそれを胎内にやどし、大地が火となると、風はそれを胎内で養う。 精妙なものから大地を養え、大いなる力をもって。 それは大地から天上にのぼり、上方と下方の支配者となる。 <左 普通> 常人が聞いても理解できない言葉でしょう。 しかし、魔神の口から魔術をもって紡がれたそれは、砂漠に注ぐ雨の如く、漁師の頭にスーッと染み込んで行きました。 漁師は錬金術の全てを、神の創世の御業を悟り、世界と繋がった驚き、感動に瞠目しました。 カッと見開かれた眼(まなこ)から涙が滂沱(ぼうだ)と零れるのを見て、魔神はほくそ笑みました。 この魔神、生意気な漁師に一泡吹かせてやろうというのを、まだあきらめていなかったのでございます。 (あくび)ふわぁ、眠くなってしまいましたわ。 今夜のお話は、ここまでに致しましょうか。 <左 近い 囁き> 明日のお話は、もっと、面白いですわよ。ふふっ。 ○第二夜 <左 普通> それでは、お話の続きを致しましょうか。 錬金術の奥義を授かった漁師は、魔神が封じられていた壺を市場に持って行きました。 横に浮かぶ魔神の姿は、向こうが透けて見える程薄くなっています。 魔神が言うには、魔術で漁師以外には見えなくしたのだそうです。 実際、恐ろしい魔神がかたわらに居るというのに、市を行きかう人だかりは誰も驚いた様子も見せません。 <右 近い 囁き> (胸が圧されて出る声)んっ。 「そうですよ旦那、そんな忌々しい壺、さっさと売ってしまいましょうよ」 <左 普通> 魔神が、手をもみもみ囁いてきます。 漁師は逡巡しました。 あら? どうされましたか? 右のお耳は魔神の言葉、そのようにした方が雰囲気が出るかと思ったのですが。 (とぼけて)えっ? 当たってる、ですか? 何か当たってしまいましたか? んー、マスターがお嫌でしたらやめるように致しますが。 はあ、嫌では無いのですね。 それならば、よいのですが。 <右 近い 囁き> んっ。 「それとも旦那。こういうのが、お好き、なんですか?」 ふふっ。 <左 普通> 魔神は、からかうように言います。 漁師は、考えました。 果たして、この壺を売ってしまっても良いのでしょうか。 売ってしまえば、魔神を封じる物は無くなってしまうのですから。 とは言っても、前に魔神を閉じ込めたのも、魔神から壺に入ったからであって、漁師の意志で押し込めるわけではありません。 何より、必要なのは先立つ物です。 幸い、ピカピカに磨いた壺は、漁師が思ったよりも良い値が付きました。 そんな高値で買ってもらえたのは、魔神が、商人の耳にこう囁いていたのも関係していたのでしょうか。 <右 近い 囁き> んっ。 「ほら、立派だろう。ほら、良い物だろう。ほら、触れてみたいだろう。ほら、やわらか……」 あら、すみません。硬い物でしたね、壺は。 わたくしとしたことが、言い間違えてしまいましたわ。ふふっ。 <左 普通> そんな事もあってか、結構な額を出してもらえました。 しかし、それだけではまだ足りません。 ええ、錬金術とは、何かと金(かね)のかかるものなのです。 漁師は、家に帰って妻にも話します。 家を質に入れる、そんな突拍子もない話をされて妻は反対しました。 当然の反応でございます。 魚を獲って生計を建てていた男が、急に金を作ると言い出して誰が信用できるでしょう。 しかし、反対していた妻も漁師の目を見て頷きました。 漁師の瞳には、狂気はかけらも無く、確信に満ち満ちておりました。 それも当然の事、漁師は錬金術が成功すると知っていたのですから。 錬金術を極めた漁師からすれば、それは薪を燃やせば炭になるのと同様に、自明の事だったのです。 足りないのは、ただ資金だけでした。 妻はそればかりか、「これも使ってくださいまし」と、手首から金の腕輪を外しました。 それは、嫁入りの際に漁師の父親から贈られた大切な物であり、いざという時の蓄えでした。 自分の事を信用してくれる、なんと良い妻を持ったものだ。 俺は幸せ者だと、漁師は喜びました。 が、漁師は気づいておりませんでした。 自分の背後で魔神が、妻に手のひらを向けていた事を。 そうされた妻の目は、たちまち焦点を失ったのでした。 そうこうして当面の資金はできました。 資金が集まれば、次はその資金の使い道、錬金術の道具です。 しかし、辺鄙な漁村で錬金術に必要な道具を買うのは無理な話。 ですから、一家は町へと向かうことにしました。 人は、水辺に暮らすもの。 乾燥したアラビア半島では、水はとても貴重で、必然として町の間には大きな隔たりがございます。 故に村を離れれば、目に映るものは二つ。 無窮の空と、無窮の砂と。 それらを分かつはずの地平線は、陽炎ににじんで。 夜が来れば、明瞭さを取り戻した地平線に星は降り、砂の一粒へと変わる。 これ程の砂が積もるのに、どれだけの時間が流れただろうか。 そんな空想にいざなう、アラビアの夜のしじま。 そして、夜が明ければまた歩く。 やがて、空と砂の狭間に目指す物が見えてきました。 砂と同じ色をした城壁が。 町のぐるりには壁があり、門には衛兵がおります。 通るには通行手形が必要となりますが、漁師は田舎者ですから、そんな事はつゆとも知りません。 不審者を壁の中に入れないのが衛兵の仕事です。 ですから、漁師はつまみ出されるはずでした。 ところが、衛兵達は漁師の姿を認めると一斉に、「あなたの上に平安を!」と叫んで右手を前方に掲げ、敬礼を以て迎えました。 ギョッと戸惑う一家とは対照的に、魔神は鷹揚に頷いて門をくぐりました。 門の内側は、直線と直角で描(えが)かれた石造りの世界。 その中で、モスクのドームだけが優美な曲線を見せ、尖ったミナレットが陽光に照り映えておりました。(なお、他の箇所に合わせるならば、モスクはマスジド、ミナレットはマナーラとアラビア語の読みにするべきでしょうが、さすがに聴き手に伝わらないので英語の読みにしてあります) 一家は、その重厚な存在感に圧倒されました。 さて、マスターは錬金術について、どのようなイメージをお持ちでしょうか? わたくしどもにとっては、臭い、汚い、おまけにうさん臭い、という感じでした。 硫黄だとかを燃やすものですから臭くてたまりませんし、ススや得体の知れない物やで汚れております。 そんなわけで住民に煙たがられて、錬金術師の工房など、まともな場所に構えられるものではありません。 ですから、錬金術師は貧民街の片隅に居を構えるのが普通でした。 それに、錬金術などというものが、そうそう成功するはずもありません。 万年金欠の彼らは、金持ちをペテンにかけて金(かね)をもぎ取ってやろうと、虎視眈々と狙っていたのです。 錬金術で金を作ったように見せて、もっと金を作るには研究資金が必要だと言うのです。 その方法と言ったら、材料に使う銅の中にあらかじめ金を入れておいたり、鍋を二重底にして金を隠しておいたりとお粗末なものでした。 そんなものですから、錬金術師と言えば詐欺師の代名詞のように語られていました。 そんな連中の為の道具が、普通に売られていると思われますか? その大半はオーダーメイド、錬金術の道具を揃えるのも一苦労なのです。 ですので、手っ取り早い方法を取りました 先程申し上げたように、二流、三流の錬金術師は金欠ですから、金(かね)を払えば工房を借りる事ができました。 いえ、大切な工房を貸さざるを得ない程金欠だったと言った方が正しいでしょうか。 ここでも漁師の背後で、魔神があれこれしていたわけではありますが。 まあ、金(かね)や腕は無くとも、プライドは高いと面倒臭いのがそのような手合い。 ここは、話を早くしてくれた魔神の肩を持ちましょう。 そんな二流、三流と申しましても錬金術師でございます。 ビーカーにフラスコ、錬成炉、ランプに火鉢、やっとこにふいご、乳鉢に乳棒、そしてアランビックと呼ばれる蒸留器などなど、質はともあれ必要な物は一式揃っておりました。 錬金術を極めた漁師の目には、それらの道具を用いて金を作る光景がありありと浮かびます。 残る物は材料だけ。 辰砂(シンシャ)と硫黄、それと薪です。 辰砂と硫黄は、工房にあった物をついでに買い取りました。 薪は、少々値が張っても良質なレバノン杉の物を集めました。 微妙な加熱の加減が重要だからです。 この工房の持ち主は、そういう所に気が回らないから三流なのです。 さて、金の錬成には、四つの工程がございます。 第一は、理想的な水銀を抽出する工程。 第二は、理想的な硫黄を抽出する工程。 第三は、理想的な水銀と硫黄から、賢者の石を作る工程。 第四は、いよいよ賢者の石を使って、卑金属を金にする工程です。 ですので、漁師はまず、理想的な水銀の抽出から始めました。 辰砂を蒸留器に入れて熱しますと、水銀が得られます。 その水銀を再度、火にかけて蒸留する事、九回。 こうして蒸留を繰り返す事で、不純物の無い理想的な水銀が得られます。 錬金術師ジャービル曰く、「金とは理想的な水銀と硫黄が正確な比率で完全に結合した物である」。 不純物を含む理想的でない水銀を用いれば、金にはならず、卑金属が出来あがってしまいます。 この蒸留の工程を怠らないのが、二流と三流の分かれ目でございます。 同様に、硫黄を蒸留する事、九回。 これで、理想的な水銀と硫黄が出来あがりました。 さて、次がいよいよ一流と二流の分かれ目、賢者の石の作成です。 万物は、四つの属性から成る物。 四つとは熱と冷気、乾燥と湿潤です。 水銀とはひんやりとした液体、つまりは冷気と湿潤の属性を持った金属。 硫黄とはよく燃える固体、こちらは反対に熱と乾燥の属性を持った物質です。 この水銀と硫黄の配分を変えれば、あらゆる金属が作られるわけです。 例えば、鉄を粉末にするとよく燃えるのは、硫黄の性質が強いから。 鉛が、柔らかく溶けやすいのは、水銀の性質が強いからと言った具合です。 水銀と硫黄を適切な配分で、「哲学者の卵」と呼ばれる首の長いフラスコに入れ、ヘルメスの印璽で封をします。 哲学者の卵を、アタノールと呼ばれる錬成炉に入れ、火力を一定に保ち加熱すると、水銀と硫黄は結合して腐敗し、黒よりも黒い黒色の死体となります。 更に過熱を続ければ、黒色は薄れ、時間と共にクジャクの尾のように多様な色彩に変化し、黒い塊は最後に輝かしい白色に復活を遂げます。 そして、更に温度を上げて加熱する事、一週間、白い物は透き通った深い赤色へと変わりました。 この赤色の物質は、熱くも無く、冷たくも無く、乾いても無く、湿っても無く、硬くも無く、柔らかくも無い不思議な物質でした。 ジャービルはこの物質を、卑金属の病を治して完全な金属、つまりは金にする薬であるとし、アラビア語にて至高の治療薬を意味する、「アル・イクシール」と名付けました。 これこそが、賢者の石でございます。 さて、この長大な工程を経て得られた賢者の石は、手のひらに収まってしまう程わずかの量。 しかし、その効果は絶大です。 先程、賢者の石を治療薬と申しましたね。 では、マスターが病にかかったとして、その病気を治療するのにいか程の量の薬が必要でしょう? マスターの体重と同じくらい必要でしょうか? いえいえ、それはほんの少々かと思われます。 賢者の石も然り。 一説には、二十七万二千三百三十倍の重さの鉛を金に変える事ができたと伝えられます。 つまりこの時、漁師の手には一国をも揺るがす程の力が握られていたのでございます。 そんな人物を漁師と呼ぶのは、ふさわしく無いでしょう。 この偉業を以て、漁師という呼称を改め錬金術師と致しましょうか。 錬金術師は、賢者の石をほんのひとかけ削り取り、鍋で熱した鉛の中に落としました。 すると鉛は、目もくらむような輝きを放ち、鍋の底に現れたのはどこからどう見ても黄金です。 それが両手に余る程も。 漁師をしていたならば、一生かかっても稼げなかった量です。 錬金術師は、「ほらな、言った通りだろう」と妻に向かって胸を張りました。 開いた口が塞がらない妻を見て、いかにも満足気です。 金への変成ができたら、一番にする事は決めてありました。 錬金術師は、妻の手を取ります。 「俺の申し出を聞いてくれて、ありがとよ。 お前の両手に金の腕輪をはめてやろう、前のよりもっと立派なやつをな。 心配をかけただろう? 今日はお祝いにしようじゃないか、一度ラム肉というのを食べてみたかったんだ。 そうだ、この工房を貸してくれたやつにも礼をはずんでやらないとな」 そう言って、金を革袋に入れ、賢者の石を懐にしまい、意気揚々と出かけて行きました。 革袋はずしりと重くとも、かえってそれが心地良く、自然と目線も高くなりました。 街並みも、違って見えてきます。 色彩溢れる市場。 シナモンにローレル、クミン、ターメリック、コリアンダー、カルダモン。 活気に満ちた往来によってブレンドされた、かぐわしい香辛料の香り。 コショウやナツメグと言った、話にしか聞いた事のない物の姿も。 それは、船乗りシンドバッドも命を懸けて運んだ高級品。 それらを店の奥から貴婦人の如く見下ろすサフランは、陽光を撚(よ)り合わせたような紅色で。 見る物全て、刺激にあふれ。 錬金術師は、いかにも田舎者丸出しのていで、きょろきょろ目移りしながら市場を歩いておりました。 ふとその耳に、市場の活気に似つかわしくない憐れみをこう声が聞こえて来ます。 「おお、私はかつては衛兵でしたが、膝に蛮族の矢を受けてしまいました。 この哀れな老いぼれめに、どうかお慈悲を」 声の先には階段に腰掛けた老人が、裾をたくし上げて左膝を見せておりました。 痩せた膝には、矢の痕が痛々しく浮いています。 その前では人々が足を止め、小銭や食料を施しておりました。 <右 近い 囁き> 「旦那も施してやってはいかがですか? 喜捨は天国行きの善行ですぜ。 ほら、旦那にはコイツがあるじゃないですか。 誰にも真似できない、立派な善を積めますぜ」 <左 普通> 魔神はそう囁いて、ポンポンと錬金術師の懐を叩きます。 <左 近い 囁き> あら、マスター、たくましいお体をされているんですね。ふふっ。 <左 普通> 「ふむ、そうだな」 錬金術師は、浮かれておりました。 油屋を見つけると、小さな椀とそれに一杯のゴマ油を求めました。 「お代はこれでいいか?」と、革袋の中をごそごそとし、一つ取り出して店主に握らせました。 油屋の店主は、手を開いてギョッとします。 それは、かめごと買えようという量の金の粒でした。 店主は、錬金術師を呼び止めようとしたものの、その背中は既に雑踏の中に消えてしまっていました。 錬金術師は、人通りの少ない所まで来ると、壁を向いて懐を探りました。 賢者の石を取り出してゴマ油の入った椀にポチャンと落とすと、賢者の石から血の様に赤い筋がくゆりました。 人差し指をつっこんでくるくるとかき混ぜると、賢者の石を取り出して、付いた油を服の裾でぬぐい、また懐にしまいました。 椀の中のゴマ油は、ルビーのように赤く輝く液体に変わっておりました。 錬金術師は、その椀を持って、老人の所へ行きます。 「脚を見せなさい」 そう言うと、いぶかしむ老人の膝に椀の中身を塗ってやります。 「これで立てるだろう。ほら、手を貸して」 錬金術師は、老人の手を取りました。 「いや、旦那、何をなさるんで、ちょっとご勘弁を」 上ずった声を上げる老人を無理やり立ち上がらせると、手を離してみせました。 するとどうでしょう、老人は自分の脚で立っているではありませんか。 驚く事に、膝の傷跡もすっかり消えて、血色の良い肌を見せています。 老人は左の脚で、地面をパンパンと踏み鳴らしてみました。 痛くありません、全くの平気です。 まさか、再び自分の脚で立てる日が来るとは。 老人は、フワリと体が浮き上がるような、そんな喜びに満たされました。 そうして、見開いて上げた目線の先。 そこには人だかりができておりました。 「奇跡だ」 人だかりから感嘆の声が起こります。 それを聞いて、老人はハッと我に返りました。 バシン、と乾いた音が響きます。 喜色も一転、錬金術師を睨むと、手にした杖で思いっきり打ちすえたのです。 (あくび)ふわぁ、失礼致しました。 マスター、眠くなってしまいましたね。 良い所かもしれませんが、今夜のお話はここまでに致しましょうか。 <左 近い 囁き> 明日のお話は、もーっと、面白いですわよ。ふふっ。 ○第三夜 <左 普通> それでは、お話の続きを致しましょうか。 錬金術師は、老人に杖で打たれて尻もちをついてしまいました。 取り落とした椀はパリンと割れ、中を満たした赤い液体を石畳にぶちまけます。 錬金術師は、突然の事に何が起きたのかまるで理解できませんでした。 善い事をしたというのに、なぜ叩かれねばならないのでしょう。 呆然とする錬金術師の鼻先に、老人は杖を突きつけます。 「なんて事をしやがる! 俺は脚が悪いからこそ、同情を買う事ができた。 だから、乞食としてやっていけてたんだ。 それが、幸運な乞食が居るなんて噂が広まったら、いったい誰が、俺に同情してくれるというんだ。 俺は、お前のせいで本当に、本当に惨めになってしまった」 老人は、鼻をすすり、背を丸め、顔を隠しながら走り去ってしまいました。 ぽかんと座り込む錬金術師に、魔神が囁きかけます。 腹立しげに腕を組んでいるものの、口元からはニタニタとしたいやらしい笑みが漏れていました。 <右 近い 囁き> 「なんて恩知らずなジジイだ。 まったく、旦那、災難でございましたね。ふふっ。 ですが、気を落とす事はありませんよ。 だってそうでしょう、旦那は善い事を、誰にもマネできない、とても善い事をされたんですから。 旦那、そんなにしょげて、おかわいそうに。 そんな旦那の事、私が魔術で隠してさし上げましょう。 こんなみっともないお姿、見られでもしたら、さぞ、お恥ずかしいでしょうからね。ふふっ。 ほら、これで大丈夫。 旦那のお恥ずかしいお姿を見ているのは、私だけ、私だけでございますよ。ふふっ」 <左 普通> 魔神の囁きは、呆然とする錬金術師の耳にザラついた嫌な感触だけを残していきました。 やがて、錬金術師は、のそのそと立ち上がり、肩を落として歩き出しました。 「重い……」 金の詰まった革袋の紐が、やけに手に喰い込んで感じます。 残された椀の破片と赤く染まった石畳を見て、群衆の一人がため息をつきました。 屈んで、割れた椀を拾い集めます。 その指が、石畳に触れて止まりました。 椀の中身が零れた部分だけ、ツルツルとした質感がするのです。 指先で叩くと、コンコンと硬い感触がしました。 やけにキラキラと輝いているのですが、濡れているわけでも無く、ぬぐっても取れません。 首をひねって、「どうした事か」と一言残し、立ち去りました。 油の染みた箇所だけ柘榴石(ガーネット)になっていたのが分かり、ちょっとした騒ぎになるのですが、それはまた別の話です。 さて、錬金術師に話を戻しましょうか。 錬金術師は、両替商の所にやって来ました。 金にはとても価値がありますが、価値が高すぎる故に、小回りが利かないという不便さがありました。 油屋での様に金の粒で支払われても、それでどれだけの物が買えるのか、どれだけの釣りを返さねばならないのか分からないでしょう。 金の量だけが問題ならまだしも、純度も考えねばならないのです。 その価値を見極めよというのは、素人には酷な話でしょう。 そこで、出番となるのが、査定の専門家、両替商でございます。 両替商に、金を貨幣に替えてもらえば買い物がずっと便利になるのです。 ムスッとした顔で、革袋を差し出してくる錬金術師に、両替商はうろんな目を返します。 その反応もむべなるかな。 両替が必要なのは、他国の貨幣や、宝石、金細工などを持った富める者。 ススと硫黄に汚れ、飛んだ火花で穴の開いた服を着た男には縁の遠い所です。 しばらくそうして見ていても、いっこうにどこうとはしません。 両替商は、ため息をついて仕方なく革袋に手を伸ばすと、予想外のズシリとした重さに、思わず取り落としてしまいました。 なんだなんだと袋の口を開けてみれば、まばゆい輝きが目に飛び込んで来ます。 まさか、この覇気の無い、みすぼらしい男がこんな量の金を。 両替商は、錬金術師を驚愕の目で見返しました。 「お客さん、コレ盗品じゃあないだろうね?」 両替商が、そう尋ねるのも当然でしょう。 「違うよ、ちゃんと俺が作った物だ」 「作った」その言葉を聞いて、両替商はいぶかしみました。 作ったとはどういう事だ、これは金では無いのだろうか。 そう思って、一粒取り出してみると確かに金のような存在感ある重みがします。 金と見た目の似ている物には、黄銅鉱があります。 見た目は金にそっくりなので、「愚者の金」とあだ名されますが、黄銅鉱の重さは金の四分の一程。 価値も、金には遠く及びません。 それが手に持って判別が付かないようでは、両替商はあがったりです。 しかし、この怪しい男が渡して来た物は持っただけでは分かりません。 試しに天秤にかけてみるのですが、やはり金に近い密度がある様子です。 ですので次の手段をと、真っ黒な石の板を取り出しました。 この石の板は、試金石という道具でございます。 錬金術師が渡した粒を数度こすりつけると、試金石に金色の筋が残りました。 今度はディナール金貨を取り出して、少し離れた所に筋を引きます。 さて、色を見比べてみるのですが、違いがあるように思えません。 ははぁん、これは金に似せて上手く作ったものだ、と感心します。 しかし、インチキが通じるのもここまでだと、鼻を鳴らしました。 ええ、そうでございましょう。 こういうインチキの鼻を明かしてやるのが楽しいのです。 両替商は、意地の悪い笑みを浮かべました。 脇の木箱から瓶を出して蓋を取ると、中に入った液体をヘラで試金石に描かれた金色の筋に塗りました。 そして、少し待つと、布を当てて塗った液体を吸わせます。 瓶の中身は硝酸です。 硝酸は強い酸で、金以外のほとんどの金属を溶かしてしまいます。 つまり、金以外で書いた線は硝酸をかければ消えてしまうのです。 そうこんな風にな、と布をどけて驚愕しました。 線は、両方ともハッキリ残っているではありませんか。 いえ、よくよく見比べれば、ディナール金貨で書いた線は少し薄れていて。 つまり、この怪しい男が持ってきた粒は、純度九十五%のディナール金貨よりも高純度の……。 両替商は、凍りつきました。 「あ、あのー、お客様。お客様はそのー、コレをどうやって手にお入れになったので?」 その質問に、錬金術師はぶっきらぼうに返します。 「さっきも言っただろう、作ったんだ。どうしたこれは両替できないのか?」 純金、作る、その二つの単語がようやく両替商の頭の中でかみ合いました。 その意味するところに息を飲みます。 気付いたのです。 目の前にいるみすぼらしい男が何者であるのか、そしてその偉大さに。 <左 近い> 「あ、そのー、旦那、ひとつあっしと組みませんか?」 両替商が、手をもみながらすり寄って来ます。 「何を言ってるんだ、俺はただこの金を両替したいだけだ」 錬金術師は、邪険に突き放そうとしました。 「旦那、そんな殺生な事、おっしゃらないでくださいよ。 決して決して損はさせませんから、ね?」 両替商は、両の手ではしっと強く腕を掴んできます。 「こら、痛い! 放せ、放してくれ!」 「いや、旦那。頷いて頂けるまでは決して放しやせんよ」 せっかくの金づるを離すまいと両替商も必死。 錬金術師の腕にしがみついてきます。 <左 近い 囁き> んっ。 こんなふうに、ギューッと、腕を抱きしめるように。ふふっ。 <左 普通> 「こらっ! お前達何をやっておるか?」 あら、辺りを見れば、二人は憲兵に囲まれ、その外側には人垣も。 残念、両替商は引きはがされてしまいました。ふふっ。 そうして、二人は憲兵の詰所に連れて行かれてしまいます。 世事には疎い錬金術師です、あった事をそっくりそのまま話してしまいました。 正直は美徳ではありましょうが、それが良い結果を招くかは別の問題です。 ですので、横では両替商がその結果を想像して、青ざめた顔をしておりました。 考えてみてください、マスターが治安を守っていたとして、金を好きなだけ作れる者を放っておけますか? 一方、憲兵もすっかり困り果てておりました。 錬金術師が、何か法に背く事をしたわけではないのです。 しかし、注意程度で、すぐに釈放……ともできないのが錬金術です。 憲兵にも、この男が放っておいてはならない能力の持ち主であるという事は分かります。 分かりはしますが、ではどうしたらいいのかは分らないのです。 ですから皆、自分では判断できず、自分よりも偉い人間を頼ったのは仕方無い事でしょう。 さてさて、話はどんどん大きくなり、あちらこちらへたらい回しにされ、最終的に二人が連れて来られたのは、それはもう立派な部屋でございました。 壁は腰の高さまでは涼し気な青いタイルが貼られ、そこから上には精緻なアラベスク文様の浮彫り。 格子窓からは薄く光が差して、香炉から高い天井へとくゆるミルラの煙を浮かび上がらせています。 その部屋の主(あるじ)、スルターン、つまり国王は、革袋から金の粒を摘まんで、ためつすがめつ眺めました。 「ふむ、確かに本物の金のように見える。そなたがこれを作ったのだな?」 そう言って錬金術師に目線を向けました。 「は、はい」 世間知らずの錬金術師ではありますが、さすがに自分が甚だしく場違いな所に居ると分かり、落ち着きなく手汗をぬぐっています。 隣では、更に居心地悪そうに、両替商も肩を狭くして縮こまっていました。 <右 近い> 「ここは涼しいのう、こりゃあ快適な部屋じゃぞい」 <左 普通> そんな中、魔神だけが、我関せずとくつろいでいます。 国王は、穏やかな声で言いました。 「何もそなたらを罰しようというのではないのだ、そう恐れずともよい。 しかし、余は錬金術というものは、ペテンだとしか聞いた事が無くてな。 この目で見ねば信用できんのだ。 少量でよい、ひとつ金を作るところを見せてもらえんか?」 そう言われて、錬成に必要な物は……と、錬金術師は指折り挙げていきました。 「炉と鍋、それに金に変える卑金属があればお見せできましょう」 国王は、立派なあごひげに手を当てて考えました。 「ふむ、炉は無いが、かまどでもよければ厨房がある、鍋もそこの物を使ってよい」 「はい、それで構いません。ただ、かまどの火力ですと、溶けやすい鉛やスズが良いでしょう。混じり物が少ないと助かります」 そう決まると、ぞろぞろと城の厨房に連れ立って、錬金術の実験が始まりました。 錬金術師は、城の大きな鍋に用意された鉛の塊をゴロゴロと重ねていきます。 その様子を見て、国王が尋ねます。 「のう、錬金術師殿、その鉛がそっくり金に変わってしまうのかね?」 「はい、王様、そうでございます」 錬金術師が頷くと、国王は妙な事を言いました。 「では、そんなには必要無い。錬金術を見られればよいのだ。少しにしなさい」 錬金術師は、鍋一杯の金を見せるつもりだったのですが、王様にそう言われしぶしぶと鉛を戻します。 準備ができると、かまどに火が入れられました。 鍋の中の鉛がぐずりと形を崩し、完全に塊が無くなると、錬金術師は懐から賢者の石を取り出しました。 燐光を放つようでもあり、吸い込まれるようでもある、この世の物とは思えない深い赤色の塊に一同が目を見開きます。 それを爪の先で軽くこそぐ程度のひとかけ。 錬金術師には、それがこの錬成に必要な分量だと直感的に分かったのです。 いえ、錬金術を極めたが故に、そう知っていたと申し上げましょう。 賢者の石を鍋に落とすと、鈍色に光る鉛は、水に絵の具を落としたように、みるみるこがねへと色を変えていきます。 「おお」と異口同音に感嘆の声が漏れました。 錬金術師は、それを乳鉢へと移して言いました。 「これで冷めれば完成です。しばらくは水の気(け)に触れさせない方が良いでしょう。このまま置いておきます」 さて、できあがった金に国王が触れてみても、本物としか思えません。 餅は餅屋と申すようですが、金の判別は専門家にと、両替商に確かめさせるも、やはり本物の金。 それも混じりけ無しの純金でしょうとの返答でした。 国王は頷いて言います。 「これは恐れ入った。 そなたは本物の錬金術師のようだ。 しかし、余はこれ以上、金を作る事を認めるわけにはいかんのだ」 それを聞いて、両替商は思わず叫びました。 「そんな、もったいないっ!」 ですが、国王がギロリと一睨みすると、両替商はすごすごと引き下がります。 国王は、咳払いして言いました。 「錬金術師殿、金がなぜ高価なのか分かるかね?」 錬金術師は、額に手を当てて考えます。 「美しいから、加工しやすいから……それに錆びないからでしょうか?」 その回答に、国王は首を振りました。 「それらも理由の一つじゃが、一番重要なものが抜けておる」 まだ分からないといった様子の錬金術師を見て、国王は続けました。 「金が高価なのは、僅かしか無いからじゃ」 そうでございます、鉄より銀が高く、銀より金が高いのは、鉄よりも銀の方が少なく、銀よりも金の方が少ないからです。 需要に対して、供給量が少なければどうなるでしょう? より高い値段を付ける者が手に入れるのが道理。 金は、皆が価値を認めるのに、少ししかないから価値があるのです。 国王は続けます。 「金が大量に出回れば経済の混乱を招く。 余は、為政者としてそれを防がねばならん」 国王は一層強く言います。 「何より、金は貴重な物としてアッラーがお作りになられた物だ。 余はまた、ムスリムとしてもそれを乱す事はできぬ」 そして国王は、両替商に向き直りました。 「時にそなたは、金を作らぬのがもったいないと申したか?」 「い、いえ、そのー……」 かわいそうに、両替商は震えあがって口もきけません。 「そなたにはアッラーの教えが足りぬようだ、それで学ぶがよい」 国王が合図すると、従事が何やら差し出しました。 両替商は差し出された物を見て、驚きのあまり、あやうく取り落とすところでした。 それは、絹布で装丁された書籍。 緻密な植物文様に囲まれた書名は『クルアーン』とありました。 「ご苦労であった、下がってよいぞ」 そして、国王は恐縮して下がる両替商に付け加えるように言いました。 「今日の事は、くれぐれも内密に頼むぞ。 そうだ、そなた、高価な物を商っていては不安も多かろう。 そなたの店に警護をつけてやるとしよう」 両替商は、すっかり血の気の引いた顔で衛兵に連れて行かれました。 国王は、再び錬金術師に向き直ります。 「さて、錬金術師殿。そなたを食客として迎えさせて頂きたい。 奥方らも呼ぶがよい。 今宵は、余がもてなさせてもらおう、余に錬金術の話を聞かせてはくれぬか。 国民の為にも、そなたの才能を捨て置く事はできんのでな。 金を作らずとも、役に立つ事はあるのではないか? それに作ってしまったものは、仕方あるまい。 奥方に腕輪を贈るという話であったな? 善い心がけではないか。 余も、一口乗らせてもらおうか。 どれ、この金は彫金士に出して細工させるがよい。 宝石も忘れるでないぞ」 そう言って、国王は従事に金を渡し、立派な口ひげから歯を覗かせて笑いました。 錬金術師も、つられて笑います。 アラビアのことわざに曰く、「神を信じよ。しかしラクダをつなぐのを忘れるな」。 厳しい砂漠に住むキャラバン民族のしたたかさというものです。 その夜の食事は、錬金術師が見た事のない物ばかりでした。 薄焼きのパン、ペタとそれにつけるヒヨコ豆のペースト、フムスの前菜に始まり。 メインは、ヨーグルトで柔らかく煮込んだラム肉のマンサフ。 それを艶の立つサフランライスに載せるのが、アラビアのお祝い料理でございます。 羊肉(ようにく)は歯に逆らう事無くほぐれ、赤身の旨味がハラハラとしたサフランライスの華やかな香りと混じり、アクセントに添えられたナッツが心地良い歯ざわりと香ばしさを余韻に残します。 本来右手で掴んで食べるのが決まりですが、子供らは夢中になって両手で食べました。 それを見て慌てて注意するも、国王は「よいよい」と豪快に笑います。 食後には、干したナツメヤシと湯気を立てる黒色の飲み物。 泥のような見た目とは裏腹に、かぐわしい香りが鼻先をくすぐります。 女性や子供には向かぬと言われて、錬金術師の前にだけ出されたものです。 「それは、コーヒーと言う。浮いた粉をよけてすすり香りを楽しむのだ」 そう言って国王は、カップに薄く口を付けてすすり、鼻から息を吐いて見せました。 コーヒーは、挽いた浅煎りの豆をカルダモンと一緒に煮出すのがアラビア式。 飲酒を禁じられたイスラームが、世界に先駆けて見出した嗜好品でございます。 錬金術師も、国王にならって口を付けるも「苦っ!」と咳き込みました。 始めは不平ありげな顔だった妻子らですが、錬金術師が渋い顔をするのを見てクスクスと笑ったものです。 国王も破顔し、「この苦さがクセになるものよ」と、さも美味そうにすすりました。 苦みは口に合わずとも、香ばしく蠱惑的な香りが鼻を抜けるのは悪くありません。 二口、三口と飲み進めると、苦みが美味いとは思えずとも、慣れてくるもの。 そうやって飲み切ると、初めて飲んだコーヒーに目が冴える事、冴える事。 国王はイタズラっぽく笑い、「元々は夜眠らぬ為に飲む物でな。今宵は余の話し相手になってもらうぞ」と言いました。 治安の為にも、また技術の秘匿の為にも、誰彼構わず話すわけにもいかない、錬金術の話。 従事も外に控えさせ、部屋には錬金術師と国王の二人、それと目には見えぬ魔神だけとなりました。 「して、錬金術は金を作る以外にどんな事ができるのじゃ?」 さて、何が良いでしょうか。 金だけでなく、銀や宝石も作る事ができます。 しかし、それでは金の場合と同様、価値を乱してしまいます。 ならば薬はどうでしょうか、乞食を治してやったような。 錬金術師がそう考えていると、魔神がそばに来て囁きました。 <右 近い 囁き> 「どうですかな、ゴーレムなどは。ふふっ。 代わりに働いてくれる者がおれば、ずいぶん便利になりましょう?」 <左 普通> 確かに、ゴーレムが居れば十人力、大きな石を積むような作業もずっと楽になるでしょう。 錬金術師は、頷いてゴーレムについて語ると、国王はずいと身を乗り出しました。 「ほほう、そのゴーレムとはどのような代物かな?」 ゴーレムというのは、泥でできた動く人型です。 ごく単純な知能しか持ちませんが、それ故に製作者の命令に従順という勝手の良さがありました。 「そのゴーレムを作るのに必要な物は? 維持に必要な物は? どんな事ができる? 弱点はあるのかな?」 国王は、矢継ぎ早に質問を投げかけました。 「必要な物は、ニカワをつなぎに泥で人型を作り、それに賢者の石から作った呪符を核として額に埋め込めばできあがります。 これだけの量の賢者の石でも、大きさにもよりますが、数十体分にはなるでしょう」 錬金術師はそう言って、懐から手のひら大の賢者の石を取り出しました。 「維持に必要な物は、特にありません。 飲んだり食べたりする必要は無いのです。 多少は壊れても問題無く動きますが、動物と違って傷が自然に治るような事はありません。 そうなった場合は、壊れた所を直してやり、その箇所がゴーレムの一部となるよう術者が再度調整してやる手間がかかってしまいます。 できる事は、ゴーレムの大きさにもよりますが、荷物の運搬や警備などでしょうか。 召使いとして身の回りの世話をさせた話もありますが、私にはそのようなゴーレムを作る腕前はありません。 ゴーレムの弱点は、額の呪符です。 腕や脚が取れても動けますが、呪符が傷つけば崩れて泥の山になってしまいます。 それと、単純な指示しか聞けないので、術者の命令が届く範囲でしか運用しにくいという問題もあります」 それを聞いて国王は、手を打ち鳴らしました。 「それは素晴らしい。そのゴーレムに命令を出すにはどうしたらいい?」 「ゴーレムに命令を出すには、口に出して言ってやるだけです。 そうすれば術者の命令に従います」 棘に触れたかのような違和感に、国王は口を曲げました。 「術者とな? その術者というのはどんな者だ?」 「はい、術者というのはゴーレムの製作者のことです」 「ふむ、では余にもゴーレムが作れるのか?」 そう質問をされて、錬金術師は額に手を当てました。 瞑目する錬金術師に対し、国王は努めて平静に言いました。 「何もこの場でゴーレムの作り方を教えろというのではない。できるか否かだけでも教えてくれまいか?」 「いえ王様、教え渋ったのではありません。 錬金術というのは多分に感覚の問題でして、お教えするのが難しいのです。 何より私自身、不思議な話ですが、どうやってこの感覚が得られたのか分からないのです」 国王は、錬金術師の目をじっと見つめます。 しばらく目を見て、やがて、その言葉が嘘でないと悟りました。 「そうか、それは残念じゃ」 国王は、肩を落としました。 この時、国王が描(えが)いたグランドデザイン、それはゴーレムの軍隊でした。 軍隊と聞くと、平和な時代に生きるマスターは、不穏なものを感じるでしょうか? 国王は、何も覇道を欲したわけではありません。 これは、真に国民を想っての考えでした。 しかし、国王の計画と今の話を突き合わせると、そこには不要なものがありました。 他でもない、錬金術師その人です。 国を治めるには、善政を敷くことが重要ですが、それだけではありません。 どんなに心を砕いて、善い政治を行おうとしても、必ずそれが気にくわない人間が出てきます。 そんな人間が暴動を起こした際に、止める事ができる暴力を持っていなければ秩序を保つ事はできません。 もし、統治者が他者にその暴力を委ねてしまえばどうなるでしょうか? 暴力を握った人間に、誰も逆らえなくなってしまいます。 特にアラビアでは「一夜の無政府状態よりも、数百年の圧政の方がましだ」という言葉があります。 過酷な砂漠の中で統率を失うのは民衆にとっても望ましくない事でした、群れを率いる厳格な羊飼いが必要なのです。 では、この国王に羊飼いたる資質が備わっていたでしょうか? 国王は、賢い人でした。 それにもまして、やさしい人でした。 それ故に、このゴーレムが事件を引き起こす事になるのですが、(あくび)ふあぁ、眠くなってしまいましたわ。 そのお話は、また明日にしましょうか。 <左 近い 囁き> 明日のお話は、もっと、面白いですわよ。ふふっ。 ○第四夜 <左 普通> さて、国王は錬金術師に言いました。 「夜が明けたら、試しにゴーレムを一体作ってみてはくれぬか、戦闘用のものを」 「戦闘用ですか?」 錬金術師は驚きました、彼としては土木作業の役に立てば良いと思っていたのです。 それに、王様がそのような提案をする好戦的な人物だとは、とても思えませんでした。 「左様」 国王の返答は簡潔でした。 「しかし王様、人間には大き過ぎる岩も、ゴーレムならば簡単に運べましょう。 そのような労働を代わりにやらせるのが、国民の為かと思いますが」 錬金術師は、善良な人間でした。 マスターも自分の成果が、人殺しに使われたくはないでしょう? もちろん国王もそんな事は、百も承知でした。 「錬金術師殿、余は国民の為を想って言っておるのだ。 すまぬが水を一杯、頂けるかな?」 国王はそう言って、グラスを手に取りました。 錬金術師は、椅子から立ち上がって、水差しを取り、大きな机をぐるりと回って国王のグラスに水を注ぎました。 「うむ、ご苦労」 そう言って、国王はグラスを傾け、ゴクリと喉を鳴らしました。 「美味い。 なあ、錬金術師殿。今、余が水を得るには、そなたがこの机の向こうから持って来るだけでよかった。 では、砂漠の中でこの水を得るには、どれだけの労力が要ると思うかね?」 国王が掲げたカットグラスの中で水面が揺れ、ランプの灯りにキラキラと輝きます。 少し考えてみましょうか、水は水場から運んで来なければなりませんね。 近くに、川やオアシスがあればまだ楽でしょう。 しかし、見渡す限りの砂の中で水を運んでくる労力は、いか程のものでしょうか? 錬金術師が答えあぐねていると、国王は続けました。 「軍隊というものはな、大量の物資を必要とするものなのだ。 兵士の武具と矢玉だけあれば良いというものではない。 兵士は食糧や水を必要とするし、野営の為のテントや、調理する為の道具や薪も必要となるのは少し考えてみれば分かるであろう。 では、兵士が七日分の食料や水を用意したとして、それらが何日保つと思うかね?」 国王は、妙な質問をしました。 七日分の物資が、七日分以外の何になると言うのでしょうか? 当然ながら、錬金術師はこう答えました。 「王様、それは七日分では無いのでしょうか」 国王は、その答えを聞いて、微笑みました。 「答えは、三日保てば良い方だろう。 はははっ、不思議に思われたかな? タネを明かせば、それだけの物資を兵士だけでは運べないからだ。 それらを運ぶには、ラクダに積まねばならぬ。 すると、ラクダにも水や食料が必要になる。 道中にラクダが好むアカシアでも生えていればいいが、無ければ持って行く必要がある。 もし行き先が山地ならば、ラクダや荷車は入られず、より燃費の悪いラバを頼らねばならぬ。 動物はとても大食いなのだ、人間の十倍は食べねばならん。 こうして、兵士が必要な物資を運ぶには、動物が必要で、動物の物資を運ぶ為の動物が必要で、動物の物資を運ぶ為の動物の物資を運ぶ為の動物が……と際限無く膨らんでいってしまう。 最終的に、どれだけの物資が必要になる事か。 どうだ、計算したくもないであろう? この様に、軍隊というのは物資を運ぶ補給線に縛り付けられるものなのだ。 これを怠れば、敗北が待っておる。 戦争というのは、かくも国力を必要とするのだ」 そう、砂漠での行軍も過酷ですが、軍隊が目的とするのは更に過酷な戦闘です。 「腹が減っては戦はできぬ」と言うのは、正にその通り。 一日あたり三千キロカロリーの食事と四リットルの水。 この二つがあって初めて、兵士は存分に戦うことができるのです。 戦いに勝とうというならば、この大量の物資をいかに揃えるかが重要となります。 それが戦略というものです。 国王は、続けました。 「ところが、補給を必要としない兵がおればどうなる?」 そう言われて、錬金術師は考えました。 水や食糧を必要としないゴーレムの軍隊があれば、術者の分の物資だけでどんな所にも派兵して十分な戦果を挙げる事ができるでしょう。 その術者の分の物資も、ゴーレムに持たせれば良いのですし、なお積載量には十分な余裕があります。 国王は、続けました。 「錬金術師殿、そなたは自分の作ったゴーレムを人殺しの道具に使われたく無いのであろう。 余も、何もこちらから戦争を仕掛けようなどと考えておるのでは無い。 無論、国民の為その必要があれば、ためらう道理は無い。 だが、幸いにも今はその必要を見出せん。 かと言って、軍隊が要らぬとはならんのだ。 弱国は、周囲のまぐさ場と化す。 為政者たる者、他国の善意をあてにする訳にはいかんのだ。 国民を守る為には、備えが必要となる。 しかし、軍備は国民の生活を圧迫してしまう。 どうかな、錬金術師殿、少しは余の考えが分かってもらえただろうか? 物資を必要としない兵の価値が。 ゴーレムの軍事利用が、いかに国民の生活を助けるかが。 何より、余も、余の兵や国民に傷ついて欲しくなど無いのだ。 果たしてこれは、そなたの想いに反する利用法かな?」 錬金術師は、国王の話を聞いて「そのような御心があったとは」と、感じ入りました。 そんな事があったものですから、翌朝、錬金術師は空も白む前からニカワを混ぜて泥をこね始めました。 錬金術がアッラーの創世の御業の模倣であるならば、ゴーレムの作成というのは、アッラーが泥から原初の人間アーダムを作られた御業の模倣でございます。 生者は死者となり、土に還る。 その土を使って、人間の似姿を作る。 かつてパルヴィーズであった土をこねて、かつてケイコバードであった土をこねて、かつてウマル・ハイヤームであった土をこねて。 国王から貸し与えられた人手もあって、昼前には、二メートルはあろうという巨大な泥人形ができあがりました。 さて、形はできあがりましたが、肝心なのはここからです。 錬金術師は、泥人形の大きさに合わせた量の、硫黄と水銀と塩をフラスコに入れました。 それぞれ、硫黄は霊魂、水銀は精神、塩は肉体を意味します。 それらを熱し、溶け合った所に、賢者の石を投じます。 そして、ナイフを取り出して自分の指先を少し切ると、火から取り上げたフラスコに血を滴らせます。 <左 近い 囁き> 意識を集中して、反応をうかがいます。 ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ。 ほら、耳を澄ますと、聴こえて来ませんか? ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ。 生命の、躍動が。 <左 普通> ここです、錬金術師は、さっと血の滴る手をどけました。 フラスコの中身は、一つの塊となっておりました。 ドクンドクンと脈打つような深い赤色が、それが生命であると直感させます。 フラスコを割って、その塊を取り出すと、ゴーレムの額に埋め込みました。 「これで完成です」 錬金術師がそう告げると、国王は「では早速立たせてくれ」と興奮に声を上擦らせて言いました。 錬金術師の命(めい)に、泥でできた人間のカリカチュアが、ゆっくりと腰を浮かせます。 そびえ立つその威容に、国王は「おお」と感嘆の声を漏らしました。 節の無い、ずんぐりと太い腕、果たしてその威力の程はいかに。 「試しにアレを殴らせてもらえるか?」 国王は、少し離れたナツメヤシの木を指さしました。 錬金術師が命じると、ゴーレムは歩き出します。 体の重みを感じさせる、のそりのそりとした歩み。 「走らせる事はできんのか?」 国王が尋ねると、錬金術師は「それが、走るのは歩くのに比べて非常に複雑な動きでして」と口ごもりました。 そうこう話しているうちに、ヤシの木の前までやって来たゴーレムはピタリと止まって、右のこぶしを振り上げます。 その動きを見て国王は、内心ガッカリしていました。 一度に一つの動作しかできていません、それもいかにも不格好です。 例えば、騎兵の突撃は、一トンはある騎兵が駆け抜ける勢いのままに槍を突くから強いのです。 それが、敵前で脚を止めてから突くようでは価値は半減以下です。 果たしてこれが訓練された兵士相手に役に立つのだろうか。 そう考えていた国王ですが、次の瞬間、度肝を抜かれました。 ヤシの葉がガサガサと音を立てたかと思うと、轟音と砂煙が巻き上がりました。 ゴーレムのこぶしが、一抱えもある木をへし折ったのです。 国王は、あなどっておりました、泥でできた重いこぶしが振り下ろされるという意味を。 その一撃は、破城槌もかくやという威力。 当然、ゴーレムも無事では済まず、こぶしは砕け、腕の半ばまで失っておりました。 しかし、ゴーレムは折れたヤシの木に向かって、再度こぶしの無い右腕を振り上げます。 砕けたこぶしなど意に介さず、といった具合です。 「も、もうよい」 我に返った国王は、慌てて静止しました。 「止まれ」 錬金術師の命令も間に合って、ゴーレムの腕はヤシの木の前でピタリと止まりました。 「錬金術師殿、これはなんとも凄まじいな」 国王の額には、汗が浮いておりました。 それは、熱気をはらんだアラビアの風のせいだけではないでしょう。 その騒ぎに、カチャカチャと金属音を鳴らした一隊が駆け付けて来ました。 彼らは、素早く国王とゴーレムの間に割って入ると、曲刀を抜きました。 現れたのはハセキ、王直属のマムルーク、精鋭中の精鋭でございます。 ゴーレムも自らに向けられる刃に反応して、ゆっくりとマムルークたちに向き直ります。 「よい、刃(やいば)を納めよ。錬金術師殿もゴーレムを下がらせよ」 国王がそう言うもマムルークたちは、依然剣を構えたまま。 錬金術師の命に従って、ゴーレムが下がって腰を下ろすと、マムルークたちもようやく剣を鞘に戻し、それでも注意はゴーレムに向けたまま、国王にひざまずきました。 「王よ、この騒ぎは一体?」 国王は、咳払いをして答えます。 「よくぞ駆け付けてくれた、そなたらの忠義に感謝する。しかし、心配は無用。新兵器の試験をしていただけだ」 「新兵器ですと?」 マムルークの目がギョロリと、尻もちをついたように不格好な姿勢のゴーレムに一瞥(いちべつ)をくれます。 いかにも面白くないといった顔です。 「王よ、お言葉ではありますが、あのような玩具では国は守れませぬ。 国を守るは我らが務め。 その事を示させては頂けませぬか?」 国王は考えました、もしかすると、これは絶好の機会なのでは? ゴーレムを使うには、術者が裏切った際に、ゴーレムを止めるだけの力を用意しなければなりません。 その為にもゴーレムの力量を計っておかねば。 「よかろう、明日双方一対一で果たし合われよ。ただし、言ったからには無様な姿を晒すで無いぞ。よいな?」 国王の言葉に、マムルークたちは「はっ!」と声を揃えます。 「うむ、そなたらの勇気に期待する。錬金術師殿もそれでよいな?」 錬金術師が口を開(ひら)けずにいると、国王は重ねて「よいな?」と言いました。 そう言われては、錬金術師も「はい」と返すより他ありません。 「では、明日までにゴーレムの右腕を直しておくように」 国王の言葉で、その場はお開きとなりました。 マムルークが去り際に、錬金術師を一睨みして行きました。 その鷹のように鋭い眼光に、生きた心地がしません。 茫然としていると、国王がそばを通り、「すまぬ、迷惑をかけてしまったな」と一言残し去って行きました。 翌日、城の裏手にある演習場は異様な緊張に包まれておりました。 片方には、千を数えるマムルーク。 チュニックの下にチェインメイルを着込み、兜を付けた戦装束。 腰に佩(は)いたシャムシールの鞘に刻まれた、「アリーに勝る英雄はなく、ズルフィカールに勝る剣なし」という金文字が、強い陽光にギラギラと照り映えておりました。(普通は鞘でなく、刀身に刻まれます。雰囲気は出したいものの、抜刀するわけにもいかず、やむなく鞘にしました) 整然とした隊列から発せられる無言の圧力に、錬金術師はゴーレムの背後に隠れてしまいます。 一方、ゴーレムは不動、怖れというものを知りません。 壊れた右腕は、元通りに直されていました。 さて、マスターは奴隷と聞いて、どのような印象をお持ちでしょうか? 悲惨、かわいそう、おおむねそんな感じでしょうか? マムルークも奴隷なれども、そのような形容は似合いません。 立ち並ぶマムルークの中から、高いいななきを響かせ一騎進み出て参りました。 手には槍、腰には曲刀や短刀、弓や矢筒が並び、左の腕には盾、背にはメイスを背負う偉容。 その姿は、正しく武芸百般。 これこそが、かのモンゴル軍さえ退けた、イスラームの誇り高き奴隷軍人マムルークでございます。 「双方、存分に力を示されよ」 国王の言葉に、張り詰めた空気が臨界を迎えました。 錬金術師はゴーレムに「あいつを倒せ」とだけ命令して逃げるように下がります。 ゴーレムが、マムルークに向き直ったのが試合の合図となりました。 マムルークが馬の腹を蹴り、獲物を狙う鷹さながらの勢いでゴーレムに向かいます。 そのまま、槍を逆手に持って掲げました。 腰をひねり、力こぶに闘志をたぎらせて、すれ違いざまに投擲します。 槍は、ゴーレムの胴中にズドンと突き立ちました。 走り去った騎馬が向きを変えると、マムルークは既に弓を引き絞っておりました。 マムルークが、最も得意とするのがこの馬上弓術です。 瞬く間に五本、六本と矢を放ち、ゴーレムに次々と矢を生やします。 矢など意に介さずと前進するゴーレムですが、弧を描くように一定の距離を取って周囲を回りながら矢を射るマムルークには近づけず、針山のような有り様です。 馬に乗られていては近づく事もかないません。 ゴーレムも、そう判断したのでしょう。 ですから、手近な岩を両手で掴みました。 持ち上げると、突き刺さった槍の柄に岩が当たって、中ほどでボキリと折れました。 穂先が腹を抉って傷を広げますが、気にした様子もありません。 頭上に高々と掲げられた岩に付いた砂が、パラパラとこぼれ落ちます。 そのまま、マムルーク目がけて岩を放り投げました。 マムルークの反応は早く、手綱を引いて馬を止めます。 岩は、すんでの所で馬の鼻先をかすめただけで済みました。 しかし、間近に落ちた岩の轟音と砕けて飛び散る破片に、さしもの軍馬も暴れます。 優れた乗馬技術を誇るマムルークですが、振り落とされまいとしがみ付くのがやっとです。 その隙でした、ゴーレムが無造作に振り上げた右のこぶしが馬上のマムルークに迫りました。 金属がひしゃげる、嫌な音がしました。 馬は倒れ、放り出されたマムルークが砂煙を巻き上げ地を転がります。 弓やメイスが手を離れ、カラカラと乾いた音を立てました。 木をへし折る程の一撃です、とても人間が耐えられるような威力とは思えません。 それで決まりかに思われました。 ゴーレムは、地に伏すマムルークに迫ります。 錬金術師の脳裏に、折れたヤシの木に向かって腕を振り上げるゴーレムの姿が浮かびました。 ゴーレムは、なおも「あいつを倒せ」という命令に愚直に従い、最悪の想像を現実にしようとしているのです。 「そこまでだ」 慌ててそう叫びかけた錬金術師を、制止する声がありました。 「臆したかっ! これしきで俺は倒せんぞ!」 なんとマムルークが立ち上がり、一喝、錬金術師を睨みつけたではありませんか。 潰れた盾を腕から抜くと、右肩から袈裟に掛けたベルトを外し投げ捨てます。 盾の下にあった左腕は、あらぬ方向にねじ曲がっていました。 それでも闘志は少しの衰えも見せません、腰から曲刀を抜くと右手に構えます。 ゴーレムのこぶしがマムルークを狙い、容赦なく右、左と振り下ろされます。 こぶしが、空を切るブンブンという音が聞こえるたび、錬金術師の背に冷たいものが走りました。 しかし、恐るべき威力とはいえ、ゴーレムの動きは素人以下。 歴戦のマムルークを、そうそう簡単に捉えることはできません。 ですが、マムルークの方も攻め手を欠いておりました。 ゴーレムの弱点は額の呪符というのは知らされてはいるのですが、上背と左右の連打にはばまれて、そこを攻める事ができないのです。 さあ、どうしたらゴーレムの額に刃を届かせられるでしょうか? 剛腕が振るわれる懐に飛び込むのは狂気の沙汰。 もし荒れた地面に足を取られてしまえば、次の瞬間にはひき肉と化すでしょう。 右手でしか刀を振るえぬ今、一方的に攻撃を仕掛けられる立ち位置は、ゴーレムの右腕の外側です。 右のこぶしをかわし、右腕の外側に付けば、一度体を起こさねば左こぶしで狙えません。 右腕で払うにしても、振り下ろした直後なら、その勢いを反転させるまでにいくらかの猶予があります。 その勝機に即座に気付き、実行したマムルークはさすが大したもの。 しかし、曲刀なのが災いしました。 叩き斬る事を目的とした長剣とは異なり、斬り裂く事を目的とした曲刀といえど泥の塊を斬る事はできません。 かえって、その刃(は)の反りが正確な突きを困難にします。 ゴーレムの頭部は傷だらけとなりましたが、攻撃の手はまるで衰えません。 苦痛を感じぬ兵の、恐怖を感じぬ兵のなんと厄介な事でしょうか。 とうとう、斬り裂く為の薄い刃(は)に無理がたたりました。 呪符よりも先に、曲刀の刀身がポキリと折れてしまったのです。 ゴーレム相手に武器を失っては、打つ手はありません。 マムルークは、防戦一方になってしまいました。 ゴーレムは、大きな歩幅で詰め寄り、こぶしを振るいます。 マムルークも、かわすもののいつまで続けられるものでしょうか。 攻勢を緩めぬゴーレムに対し、マムルークは肩で息をしておりました。 しかし、マムルークも無策で逃げていたのではありません。 マムルークの指先が、目的の物を捉えました。 馬から放り出された際に転がっていったメイスです。 マムルークは、フーッと大きく息を吐き、スーッと深く吸いこみました。 獲物を狩る鷹の目でゴーレムを見据えます。 残された勝機は一つ、ならば覚悟を決めるまでもありません。 後は実行に移すのみ。 ゴーレムの右こぶしを、後ろに下がって避(さ)けます。 続いて振り下ろされる左こぶし、ここです。 チャンスはここしかありません。 大きく避(さ)けたのでは間に合いません。 ですので、リスクを取りました。 <左 近い 囁き> 身を低くして、こぶしの下をくぐり抜けるように、前に出てかわします。 耳元で、ビュウという風を切る音。 ゴーレムの剛腕が兜をかすめ、カンッと乾いた音を立てて跳ね飛ばしました。 最小限の動きでの回避は時間を作ります。 渾身の一撃を振るう為の時間を。 前進する勢いのままに、メイスを振り上げました。 必要なものは二つ。 生きた右腕の活用と、メイスを振るう空間と。 今、その二つが揃いました。 右手で高々と振り上げたメイスを、両手ではしっと掴みます。 折れた左腕の痛みなど忘れました。 それは、敵を鎧ごと叩き潰す為の武器でした。 「おう」と雄たけびを上げ、メイスを振り下ろします。 槍を受け、幾度もの矢を受け、それでも動いたが為に細かなヒビが無数に入った、巨体を支える左脚に。 ドンという、突き抜ける手ごたえ。 メイスは、ゴーレムの左ももを粉砕しました。 支えを失ったゴーレムが傾きます。 マムルークは、メイスを捨て、腰から短刀を引き抜きました。 噛みつかんがばかりに飛び掛かり、ゴーレムと共に倒れ込むように、体重を載せて振り下ろします。 ドーンと下っ腹に響く音を立てて、ゴーレムが倒れ、砂ぼこりを巻き上げました。 その砂ぼこりの中から、マムルークがのそりと立ち上がります。 短刀は、額の呪符に突き立てられておりました。 砂漠の風に吹かれて、ゴーレムの輪郭が崩れます。 ゴーレムは、大地の一部に還ろうとしておりました。 決着でございます。 <左 普通> 「我らが王に勝利を!」 国王に向き直り、マムルークが吠えました。 背後の一団の呼応する鬨の声が、乾いた大気をビリビリと震わせます。 砂を巻き上げた熱い風が吹き抜けました。 「王よ、我らが王よ! ご覧じよ! このような玩具では戦に勝てませぬ!」 そう叫ぶマムルークの口の端からは、鮮血が垂れておりました。 ゴーレムの一撃が、内臓を傷つけていたのでしょう。 恐らく立っているのもやっとのはずです。 これは本当に人間か? 錬金術師の目には、その鬼気迫る形相が砂漠に吹き荒れる嵐、シムーンの化身のように映りました。 この日差しの中だというのに、背筋がうそ寒くなる思いです。 国王も、ごくりと唾を飲みました。 憐れむような顔をし、しばし瞑目します。 しかし、長く息を吐いて再び顔を上げた時には、そんな様子は微塵も残していませんでした。 国王は、マムルークたちに堂々と告げました。 「見事であった。まこと国に必要なのはそなたらのような勇士である。 よくぞ示してみせた、褒美を取らせようぞ。 これからも余に仕えてくれるな?」 「我らが王よ」と、国王を称える声があちらこちらからわき上がりました。 次いで国王は、錬金術師の方を向きます。 「我が国は、ゴーレムなぞ無くとも、このマムルークらが居れば安泰である。 そなたは余に、一騎当千の勇士らありと教えてくれた。 そなたにも、褒美を取らせようぞ」 「しかし、王様……」 錬金術師は、思わず口を挟もうとしました。 どう見ても辛勝、もしゴーレムが武装していたならば、もしもっと大きなゴーレムだったならば勝敗は違っていたでしょう。 相手の問題もありました、戦場に立つのはこのマムルークのような精鋭ばかりではありません。 並の兵ならば最初の一撃で決まっていたはず。 兵站(へいたん)の問題もどうなったのでしょう、それに兵が戦場に立たずに、傷つかずに済むという話は? どう考えてもゴーレムは有用なのです。 マムルークとて、ゴーレムがあればこのように苦しまなくて良いではないでしょうか。 しかし、国王はその言葉を遮りました。 国王の仕事は、国を治める事でした。 国を丸く収める事でした。 国というのは、異なる意思を持った人間の集まりです。 ですので、こう繰り返したのです。 「ご苦労だった。良いのだ、もう良いのだ」 憐憫(れんびん)に潤んだ瞳で、そう言われては、もう何も返せませんでした。 言葉通り、国王は錬金術師に褒美を出しました。 五頭のヒトコブラクダ、皆(みな)とても従順で扱いやすい性格をしておりました。 初めて会った錬金術師の手からでも、美味そうに飼い葉をはみ、子供達にもよくなつきました。 錬金術師にも、国王の考えが分かりました。 ヒトコブラクダは、多くの荷物を運ぶ事ができ、また水や食料も少なくて済みます。 「砂漠の舟」と呼ばれる程、旅に向いた動物なのです。 小柄なラクダばかりでしたので、荷物はそう積めないでしょうが、初めてラクダに乗る者にはむしろ乗り易くて良いでしょう。 そう、国王は錬金術師一家にも乗り易いラクダを選んだのです。 国から、錬金術を必要としないこの国から出て行き易いように。 彫金士から返ってきた金の腕輪には、大粒のアクアマリンが嵌められていました。 国王の精一杯の詫びの証なのでございましょう。 それは、国王が最後に向けた眼差しに滲んだのと同じ色をしておりました。 錬金術師は、思わず目頭を押さえました。 さて、今日のお話はここまでに致しましょうか。 <左 近い 囁き> 明日のお話は、もっと、面白いですわよ。ふふっ。 ○第五夜 <左 普通> 目に映るは、抜けるような空の蒼と、褪せた砂の白と。 その狭間で、陽炎とラクダの足並みに、懐かしの海の如く揺れる地平線は遥か。 あれから遠くに来たものです。 錬金術師の心は晴れませんでした。 漁師だった頃、貧しさを嘆く事はあっても、そこにはささやかながら幸せがありました、穏やかさがありました。 海中の色鮮やかな世界に心ときめかせ、網を打って、成果に一喜一憂する。 日々の糧に喜び、稀に採れる真珠の一粒にアッラーへの感謝を唱えたものです。 ひと月も経っていないのですが、そんな生活がずいぶん前の事の様に思われます。 あの頃は良かった、どこで歯車が狂ってしまったのか。 横に目をやると、ニマニマと笑う魔神の姿が。 そうです、海でこの魔神の入った壺を引き上げた時からです。 「お前は、俺を幸せにするのではなかったか?」 錬金術師は、魔神に問いかけました。 <右 近い 囁き> 「ええ、誓いましたとも、ワッラ、アッラーにかけて誓いましたとも。 ですから、今、旦那はこうして財宝に囲まれているじゃありませんか」 <左 普通> 魔神の言う通り、金があります、ラクダがあります、宝石があります、何よりも懐には賢者の石が。 かつて、妻と手を取り喜び合った三粒の真珠とは、比べ物にならない財宝があります。 しかし、心はこの荒涼とした砂漠の様で、あるのはやるせなさだけでした。 魔神は、そんな気持ちを知ってか知らずかはやし立てます。 <右 近い 囁き> 「次はどうしましょうか? 山を一つ金にしましょうか? 海の水を水晶にしましょうか? 旦那には、それだけのお力がございます」 <左 普通> 魔神は、そう言って錬金術師の懐に手を置きました。 賢者の石が肌を押す、暖かくも冷たくもない無機質な感触がひどく神経に障りました。 「もういい、もうやめてくれ」 錬金術師は、魔神の手を払いのけました。 その様子に魔神は、ニヤリと笑いました。 機は熟したのです。 <右 近い 囁き> 「ねえ、旦那。 もしかして旦那は、こう思っているんじゃありませんか? どうしてこれだけのお宝に囲まれているのに、ちっとも幸せじゃないんだろう、って。 ふふっ、それはですね、旦那。 幸せというのは、心で感じるものだからですよ。 初めて鍋一杯の鉛を金に変えた時は、どうでしたか? これで豊かな生活ができるって、幸せだったんじゃありませんか? 乞食の脚を治してやった時は、どうでしたか? 人に喜ばれる善い事をしたと、誇らしかったのではありませんか? でも、あの乞食の奴、とんだ恩知らずでございましたね。 大恩ある旦那を、あろう事か杖で殴るだなんて。 お優しい旦那のことですから、体より心が痛んだんじゃないですか? 俺は人を苦しめる悪い事をしてしまったのでは、なんて。 その後、城に連れて行かれて、王様に認められましたね。 旦那、嬉しそうにされてましたね。 そりゃあ、王様なんて偉い人に、必要とされれば、俺は価値のある人間だって思えたでしょうからねぇ。 でも、あのマムルークはいけ好かない奴でしたね。 旦那の作ったゴーレムなんて必要無いだなんて。 それじゃあまるで、旦那に価値が無いみたいじゃないですか? 旦那なんて居ない方がいいみたいじゃないですか? ふふっ。 きっとそんな風に感じて、しょげた顔なさってたんでしょう? 今、財宝に囲まれて、いかがですか? 嫌な思いが鬱積して、そんな心が邪魔して、喜べないんじゃないですか? 不幸だって思っているんじゃありませんか? でも、大丈夫ですよ。 旦那には幸せになる方法が、あるじゃないですか、ほら。ふふふっ」 魔神はそう言って、錬金術師の胸元の賢者の石を触りました。 卑金属の病を治し、完璧な金にする薬。 「至高の治療薬」、アル・イクシール。 それは、不完全な人間の病を治し、完璧な、幸せな人間にする薬。 不幸を識(し)る意識なんていう病気を、惨めさを感じる感情なんて病気を、悲しいと思う心なんて病気を、治してくれる薬。 <左 普通> 錬金術師の心は空虚で、魔神の言葉にあらがう気力は残されていませんでした。 ただ満たされたくて、錬金術師は、アルコールにそれを溶かしました。 『クルアーン』で禁じられた葡萄酒に。 金の杯に波打つそれは、とても官能的で、血のように紅く、甘美で苦く。 <右 近い 囁き> 魂よ、謎を解くことはお前にはできない。 さかしい知者の立場になることはできない。 せめては酒と杯でこの世に楽土をひらこう。 あの世でお前が楽土に行けると決まってはいない。 (ウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』より。ルバイヤートは、四行詩を意味するルバーイーの複数形で、四行詩集の事です。ですので、正確を期せばルバイヤートではなく、単数形のルバーイーとすべきです) <左 普通> 魔神の詠(うた)う、ルバイヤートの韻律に乗せて、恍惚と。 喉を伝う冷たくも熱い感触が、胃の腑に落ち、フッと消えていきました。 <左 近い 囁き> 腹の内(うち)から、自分であるという感覚が消えていく。 この腹は、皆(みな)の物。 この脚は、皆の物。 この腕は、皆の物。 この心は…… <左 普通> ああ、不安から、悲しみから、苦しみから解放された世界の、なんと穏やかな事でしょう。 錬金術師は、妻子にもそれを飲ませました。 一つになった家族。 心が溶け合った家族。 全てが自明で、完璧な調和のとれた家族。 彼らは、とても幸せでした。 不完全な心に煩わされる事などなく、とてもとても、幸せでした。 魔神がその様子を見て、高笑いを残し飛び去って行きましたが、錬金術師はただただ幸せでした。 彼らは、その調和を乱されたくなかったので、アラビア半島の付け根、峻険なコーカサスの山中に移り住みました。 狩りをし、採取をし、野菜を育て、金(きん)で交易をしました。 時にはよその者を迎え入れ、葡萄酒を振る舞いました。 厳しい土地でしたが、満足がありました。 他者を、自分の様に思いやり。 他者を、自分の様に慈しむ。 一人は皆の為に、皆は一つの目的の為に。 そんな理想が実現されたコミュニティ。 社会性を獲得した人類が、遂に至った完璧なる高み。 真なる霊長。 天国と現実の妥協点。 それは、とても穏やかで。 とてもとても、幸せでした 民族の坩堝と言われる、コーカサス。 コーカサス山脈には、アルマスという雪男が現れるそうですが、それは彼らが使役したゴーレムが苔むした姿でしょうか。 それは、今も人知れず、幸福な民族が暮らしている証なのかもしれません。 めでたし、めでたし。 今回のお話はいかがでしたでしょうか? あら、マスター、なんだか浮かない顔をされていますね。 心が無くなったのが幸せというのは、納得しにくかったでしょうか? ですが、これはとっても科学的なハッピーエンドなんですよ。 マスターが望まれた通りの、ね。 例えば、ストレスの問題です。 社会学によれば、人間のストレスの九割以上は、他者との人間関係に起因するそうです。 心と心がぶつかり合うから、そういうストレスが起こるのです。 ですから、心なんてものは消してしまって、もっと合理的なものに判断を任せれば、ずっとストレスが少なくて済みますわ。 マスターも、そう感じた事があるんじゃないですか? あいつは怒って、感情的になって間違った判断をしてる、もっと冷静になって合理的な判断をしてくれればずっと上手くいくのに、なんて。 羅針盤が歪んでいては、目的地にたどり着けないのは当たり前ですよね? では、心とか、感情とか、意識とか、そんな不確かなものに、影響されやすいものに判断を委ねてしまってもいいんですか? マスターも、周りの人に合理的な判断をしている自分に合わせて欲しいって思われているんじゃないですか? でしたら、マスターももっと合理的な判断をするものに判断を委ねてしまった方が良い、それが道理でございましょう? もしかして、心が無いと判断なんてできないとお考えでしょうか? ふふっ、おかしな事をお考えになるんですね。 マスターがくださった、タブレットがあるじゃないですか。 あれで、シャトランジというチェスの元になったアラビアのゲームを見つけたので遊んでみたんです。 わたくし、シャトランジには少々自信があるつもりでおりましたが、お恥ずかしい話、一度も勝てませんでした。 いえ、完敗、手も足も出なかったと言った方がより適切でしょう。 だって、コンピューターの打った手の意味が、わたくしの心では理解できないまま、気づいたら負けていたのですから。 ふふっ、心なんて無いコンピューターの判断に、でございますわ。 また、こんな心理学的な調査結果もありました。 不幸というものは、他人や過去の自分、理想の自分と比較して何かが足りないと考える事によって感じるそうです。 そんな事を考えてしまう心なんて捨ててしまった方が。 あるがままの現在とちゃんと向き合った方が、正しい判断ができて合理的だとは思われませんか? 他にも、生物学的には、幸せというのは、セロトニンやドーパミン、オキシトシンと言ったホルモン物質が分泌されている状態なのだそうです。 それが幸福の本質だとしたら、今みたいな迂遠な方法を取らずとも、もっと賢い方法があるのではないでしょうか? マスター、科学って凄いですね。 科学のおかげで、わたくしの知っている時代とはずいぶん様変わりしてしまいました。 とても豊かで、便利になりました、マスターがオススメしてくださった作品もとても興味深かったですよ。 貧しい方々も、餓えや渇きの心配をしていません。 いつ隣国が攻めてくるかも、という怖れを抱いている人だって、ほとんどいないんじゃないですか? 環境はそんなに豊かになったのに、でも、人々はわたくしの時代よりも幸せになっているようには見えません。 ねえ、マスター、進化の尺度で言えば、千年なんてほんのひと時だそうですね。 こんなに便利になったのに、人間は未だに、獣を狩って、山の幸を集めていた頃のままの心で生きているんですよ。 次にいつ食料にありつけるか分からないからたくさん食べておこうという本能、だとか、安心しきって獣に襲われないよう震える心なんていうのは、その頃には必要だったのでしょう。 ですが、果たして科学の恩恵にあずかる現代においても必要でしょうか? 逆に、飽食で肥満や糖尿病の問題になったり、ストレスの原因になったりしているんじゃないですかねぇ。 そんな心、無くしてしまった方が賢いと思われませんか? 意識なんて無い方が、不幸にならないと思われませんか? 感情なんて無い方が、皆、幸せになれると思われませんか? <左 近い 囁き> (耳吹き)ふー。 そんなに難しく考えないで、もっとリラックスしましょう。 一度、息を吐いてしまいましょう。 そうしたら、今度はスーッと大きく吸って。 (大きく息を吐く)フーッ。 ふふっ、体の力が抜けてきますね。 申し訳ございません、難しい話をしてしまいましたね。 心も体も緊張していたんじゃないですか? 深く呼吸すると、緊張が解けて気持ちいいですね。 では、もう少し繰り返してみましょうか。 吐く度に、指先や足先から力が抜けていく感じがしますよ。 (各5秒間隔くらい)吸ってー、吐いてー。 吸ってー、吐いてー。 力が抜けるの、気持ち良いですね。 ねえ、マスター。 マスターは、このように思われた事はありませんか? あいつが協力してくれたらなー、とか。 あいつさえ居なかったらなー、とか。 周りの人に認められたいなー、とか。 周りの人に必要とされたいなー、とか。 仕事や勉強したくないなー、とか。 遊びたいなー、とか。 寝ている間に体が勝手にやってくれないかなー、とか。 あれさえあればー、とか。 これさえなければー、とか。 そんな不満、無くなって欲しいとは、思われませんか? いっそ、そんな事全部忘れてしまった方が楽になる、なんて思われませんか? わたくしが、そんなマスターのこと癒してさし上げます。 ふーって息を吹きかけるたびに、ロウソクを吹き消すみたいに、頭の中の嫌なものが消えて楽になります。 わたくしの息に集中してみてください。 (耳吹き)ふー。 ふふっ。ゾクゾクして気持ちいいですね。 気持ち良さに身を任せちゃいましょう。 (耳吹き)ふー。 頭の中を涼しい息が吹き抜けて、気持ちが軽くなっていきます。 考えが吹き消えていきます。 (耳吹き)ふー。 ふふっ、息を吹きかけられるたびに、どんどん頭の中が白くなっていきますね。 頭の中からっぽで、スーッとして気持ちいいですね。 ねえ、もっと気持ち良くなっちゃいましょうか。 (耳吹き)ふー。 気持ち良くて、頭の中真っ白で、考えるのが面倒ですね。 ですから、何も考えなくていいんですよ。 だって、気持ち良ければそれでいいじゃないですか。ふふっ。 (耳吹き)ふー。 頭の中からっぽにするの、気持ちいいですね。 何も意識しなくていいの、すごく楽ですね。 ね、そうでしょう? (耳吹き)ふー。ふふっ。 このまま、何もかも忘れて眠ってしまうなんて、とっても素敵ですね。 あっ、そういえば明日の朝食はどうしましょう? 眠ってしまう前に決めておきましょうか。 そうしたら、マスターがお目覚めになる前に用意しておきますわ。 和食に挑戦してみましょうか? わたくしも焼き魚好きですし。 それとも、マスターがご希望でしたらまたアラビア料理に致しましょうか? ルギマートなんてどうでしょう? ハチミツとゴマをかけた揚げ菓子で、日本で言うと、うーん。大学芋みたいな感じでしょうか。 コーヒーにとっても合うんですよ。 やっぱり、朝にはコーヒーが欲しいじゃないですか。 マスターも、アラビックコーヒーに挑戦してみませんか? カルダモンの香りもあって、スーッと目が覚めますよ。 だって、マスター、明日お仕事じゃないですか。 明日のお仕事って、どういう予定でしたっけ? 発表があるって話されてたの明日でしたっけ? んー、めんどくさいですね。 ですけど、お仕事ですから仕方ないですよね。 (とぼけて)あっ、すみません。 わたくし、マスターのこと癒してさし上げていたはずなのに、嫌な事思い出させてしまいましたね。 (耳吹き)ふー。 何も考えないの、心なんて無いの、とっても、とっても、幸せ、でしたのにね。ふふっ。 <左 普通> (あっけらかんと)まあ、わたくしは心が無くなるなんてごめんですけど。 心があるのは、アッラーがそのようにお作りになったから。 不幸は、アッラーに与えられた天命だと思っておりますので。 そんな迷信深い人間でございますから。 <左 近い 囁き> ですが、マスターはわたくしと違って、「科学的」なお方、ですから、そんな風には思われませんよね。 <左 普通> ふふっ。すみません、少々意地悪が過ぎたでしょうか? この話は、一つの見方だと思ってくださいね。 どうでしたでしょうか? AFは楽しんで頂けましたか? わたくし、この時代に召喚されて、新しい事に触れて、今まで常識だと思っていたものがサクリサクリと切り崩されていく、そんな感覚が存外心地良く感じましたわ。ふふっ。 マスターにも、そんな感覚を楽しんで頂けたようでしたら幸いでございます。 ですけど、 <右 近い 囁き 不吉な感じで> 次のお話は、もーっと、面白いですわよ。ふふふっ。