「馴れ初めの話」  意識してるってバレないように、わたしはそっと、二つ隣の席に座る“彼”の横顔を盗み見た。  うん、セーフ……今度こそ気づかれてな――あっ。  彼の視線が、ちらりとこちらへ向けられた。  わたしは慌てて、開いたノートに視線を落とす。  一瞬だったけど……また、目が合った。  歴史の時間だけで三回目、朝から数えると計八回。  授業中になにやってるんだろ、わたし……。  やっぱり、わたしが見てるの、バレてるよね?  だからこんなに目が合うんだよね?  こんなこと続けてたら、ぜったい変な子だって思われちゃう。  でも、だけど――  どうしても、気になってしまう。  彼の存在が、わたしの中で日に日に大きくなっていってるのを感じる。  この気持ちから目を逸らすことはできなかった。 「…………」  チャイムが鳴り響き、休み時間になった。  意を決し、わたしは席を立った。  ばくばくと鼓動を早める心臓を必死に抑え込み、平静を装いながら、彼の席へと歩いていく。  指を咥えてただ眺めていても、なにも変わらない。変えられない。  だからまずは、話しかけてみよう。  そう決めた。  だけど……なんて声をかけよう。  第一声は、こんにちは?  うーん、なんか違うような……でも、話題が思いつかないし……。  話したことはあるけど、係の用事とか、事務的な会話がほとんどで、深い話はしたことがない。  ど、どうしよう……。  結論が出ないうちに、彼の席の前まで来てしまった。  幸い、彼はまだわたしの存在に気づいていない。    え、えっと……。  こういうときは難しく考えずに、頭に浮かんだことをそのまま言えばいいのかも……。  彼を見て、ぱっと頭に浮かぶ言葉……えっと……  ――好きです。 「〜〜〜っ!」  そんなのだめ。ぜったいだめ。  告白……なんて、想像しただけで顔が熱くなる。無理。わたしにはまだ早いし、絶対こんな場面で言うことじゃない。  だいたい、なにも今すぐ彼とそういう関係になりたいわけじゃない。  ちょっとずつでいいから、距離を縮めたいだけ。仲良くなりたいだけ。  そう、友達になれたら、それで充分。  それなら、そこまで難しいことじゃないはず。  えっと、友達を作るために必要なのは、やっぱり共通の趣味の話題、だよね……?  ふと、彼の机の上――ペンケースに目が留まる。  ペンケースには見覚えのあるキャラクターのキーホルダーが取り付けられていた。  これだと思った瞬間、わたしは考えるよりも先に声をかけていた。 「あ、あの……っ」  彼が振り向いた。  声をかけられると思ってなかったのか、少し驚いたような顔でわたしを見ている。 「もしかして…………好き、なの?」  そのキャラクターは今話題のスマホゲーム、ウナ娘に登場する、ニホンウナギという名前の女の子だ。  わたしもニホンウナギちゃん推しだから、思わずテンションがあがって、少し言葉足らずになってしまったかもしれない。  だからだろうか、彼はどこか戸惑ったように、視線をさまよわせた。  それから、顔をうつむけて、ぽつりと、  ――好き  つぶやいて、今度はまっすぐにわたしを見つめた。  そして……  好きです、――――さん  はっきりと、そう言った。 「…………え。…………えっ?」  今。  なに。  なに?  ……すき? 「……わたし?」  コクリと、彼はうなずいた。 「あ、あの……あの、ちがうの」  止まっていた思考が、徐々に回転し始める。  彼はたぶん、勘違いしたんだと思う。  わたしに、「わたしのこと、好きなの?」って訊かれたと思って……だから思わず「好き」って答えて…… 「好き? って訊いたのは、その、ニホンウナギちゃんのことで……っ」  彼はわたしの視線をたどって、ペンケースを見た。  わずかな沈黙のあと……彼は、頬を紅潮させた。 「だから、誤解、で――」  そう、まずは誤解は解かないと……  ……え、あれ……ちょっと待って、  そんなことより、わたしのこと「好き」って―― 「っ――!」  わたしの頭は、ようやくその意味を理解して。 「ま、待って、ちがうけど、でも、ちがわない、から……」  恥ずかしそうな顔でなにか言おうとした彼よりも早く、わたしは言った。 「その…………わたしも、好き」  もう一度、今度はまっすぐに、彼の目を見て。 「好きです、――――くん」  名前を呼ばれた彼は、言葉の意味をとっさに認識できないのか、ぽかんとした顔でわたしを見つめている。  ……まだ、そんなつもりは全然なかったのに。  あるとしても、まだまだずっと先のことだと思っていたのに。  流れで、勢いで…………告白、してしまった。 「あ、あの……そういうこと……だから」  恥ずかしさのあまりその場にいられなくなって、わたしはそれだけ言って、そそくさと自分の席へ戻った。 「…………」  ……あれ、待って。  席に座って、少しだけ冷静さを取り戻して、ふと思う。  彼に、好きって言われて。  わたしも、好きって言って。  それって……両想いってことで……  つまり、  …………恋人、成立?      * * *  あの日から、彼とはよく話すようになった。  教室ではみんなの目があるから、放課後に二人きりで、こっそりと。  彼のことを知れば知るほど、どんどん「好き」が膨らんでいく、そんな毎日だった。  あの日のやり取りは、どうやら誰にも聞かれていなかったらしい。  わたしも彼も、クラスではあまり目立たないほうだから、もし付き合ってることがバレたら、大騒ぎになりそうで……  それもあって、このことは周囲には秘密にしている。  今日もまた、校門前でこそこそと落ち合って、他愛のない会話に花を咲かせていた。  ウナ娘に新しく追加されたストーリーの話題が一段落ついてから、わたしは今日の本題を切り出すことにした。 「あ、あの……あのね?」  あの日、勇気を振り絞って、声をかけてみて――そうしたら、世界は変わった。  勇気を出してよかったって、心から思った。  だから――  またほんのちょっとだけ、わたしは勇気を出してみることにした。 「つ、次のお休みの日……わ、わたしのうちに、遊びに来ない……?」  顔は赤くなってたと思う。  声もちょっとだけ震えてたかもしれない。  彼の目もまともに見れなくなって、わたしは返事だけ聞くと、逃げるように家路についた――。  部屋の扉を閉め、ついでに鍵もかけると、着替えも後回しにしてベッドにダイブする。  まだ、心臓がばくばくいってる。  彼の返事は――OKだった。  その日はお父さんもお母さんも、家にいない。  つまり、この部屋で、二人きりになるってこと。  二人きりになって、それから、  それから………… 「〜〜〜〜っ!」  その先のことを想像して、わたしはひとり悶えた。  ぐりぐりと枕に顔を押しつけ、ばたばたと足を暴れさせる。  夕飯の時間になってお母さんが呼びに来るまで、わたしはお気に入りのテディベアを胸に抱きながら、ひたすら悶々とし続けた――。 (本編に続く)