自由とは独占。 ゆえに、 独占とは自由。 ドローンから見える戦場と戦況。 連邦が敗北すると悟ったのは、ある晴れた昼だった。 クドリャフカはそれでもいいと思った。これだけの2大国、片方を片方が滅ぼし尽くすことはありえないからだ。 戦後処理は着々と進んだ。 クドリャフカは全てを受け入れた。 戦争には敗者がいる、全てがそれでいいと思った。 クドリャフカを戦争に出すまいと根回しした生みの親のハカセは、あれだけ愛した祖国に処刑された。 まあ、クドリャフカが出なかったせいで敗戦したのだから当然だろう。 そして合衆国にだって、秘蔵されただけで、クドリャフカに似た切り札はあったはずだ。 ハカセが動かなければきっと、2大国の切り札の切り合いで、ゲーム盤が崩壊するみたいに地球が崩壊していた。 すべては仕方なかった。 いろいろな事を仕方ないと思った。 ある日、合衆国政府のウェブで、その文書を読むまでは。 我らの家族を奪ったあの国の、すべての家族をただ侵そう。 自由とは独占。 ゆえに、 独占とは自由。 根絶計画と題されたその文書の中では、倫理に欠けて実現性の低い連邦の侵略計画が列挙されていた。 戦闘行為によらない、ありとあらゆる手段の侵略行為。 どれもこれも子供の落書きのように悪意にまみれた内容で、クドリャフカには到底扱いかねた。 与太話にしか思えなくて、見つかった場所がもう少し違えば、きっと見向きもしなかっただろう。 代わりに、ニュースの裏を取る癖がついた。 なぜだか……危険な事件の裏にはいつも合衆国の諜報機関の客観的な足跡があった。 「突如見えた指紋捜査の落とし穴」 「合衆国ファンド、雪解け以来連邦の土地に興味」 「新世界九条の提唱」 「Кудрявкаの住む研究所、平和に向け自主解体」 連邦が自主的に、クドリャフカが暮らす研究所を解体するという。 自主的に、という言葉に反し、研究所の周囲にやたらと合衆国人が増えた。 ハカセの愛情が色濃く残っていた研究所は、いつしか兵器クドリャフカに対する敵意に呑まれた。 そしていつも一人で遠い空を見ていた。 ずっと見ていた。 クドリャフカは知っている。 確かに物凄く豊かな自国であったが、自分は国家の血税を怒涛に投じられて作られた血の山脈だった。 クドリャフカには兵器。連邦を守護する義務がある。 全国民に対する一義的・絶対的責務がある。 祖国の崩壊に対しては、相互に確証された破壊の責務がある。 平易に言えばやられそうならやらなければならない。 しかしやられそうとはどんな状態? この国がどうすれば滅びて、国家はなぜ衰退するのか、誰なら保証できるのだろう。 ――クドリャフカ、君は兵器でありこの国の代表だ。その責任がある。だからこそ全てを教えた。 ――そんな立場なんて、判断なんてわからない。ハカセ、私は歳で言えばまだ五歳だ。自信がない……。 ――それでも、考え続けなさい。クドリャフカはもう、クドリャフカとして生まれている。 ハカセの言葉が、星一つない青空に浮かんで消えた。 予定は悪くなり続ける。 クドリャフカは国民感情を尊重して静置される予定だった。 いつしかその予定は安楽死される予定となり、いつしかバラバラに解体される予定となった。 連邦の指導者は異常な性格だったが優秀だった。会話の機会は数度あって、奇人であったが嫌いではなかった。 その指導者は自殺した。 今は後釜争いすらできていない、有能な人間から心不全で死ぬからだ。 連邦の代表と言える人間は誰もおらず、ぐちゃぐちゃな国が揃えた外交カードは、赤ん坊のポーカーのようにぐちゃぐちゃだった。 彼女の住む研究所で仲のよかった掃除婦に、不安を打ち明けた。 他に相談相手はいなかった。戦争でいなくなっていた。 クドリャフカの手を取って、女性は微笑んだ。ひび割れた手だった。 たとえAIが弁護士から職を奪っても、世界から労働が奪われる事はない。 子供の頃から家業の農業を手伝い、大人になればひたすら建物を磨いた労働者の手。 そして、言った。 心配はない。 ――私達連邦人には、貴方がついている。 そしてちょうどその百日後、クドリャフカの首に合衆国の技術者が手をかけた。 外では五十機の軍用ヘリが銃口をこちらに向け待機している。 テレビの中では合衆国派の議員がへらへら笑っていた。 今朝の新聞では、ここ数年生まれる子供の発癌率が跳ね上がったという話だった。 予定は悪くなり続ける。 自殺した最高指導者は自殺するような人間じゃなかった。連邦のため最後までやっていこうと握手した。 その約束が、反故にされたと信じたくはなかった。 予定は悪くなり続ける。 無数の人の手がクドリャフカの左手を取り押さえて、これから平和を乱す兵器として破壊される予定だった。 覚悟はあるのか? ずっと考え続けていた。 クドリャフカは核兵器を生み出す事すらできる兵器。動くことそのものが終末戦争の始まりで、確証破壊の引き金にほかならない。 世界崩壊のスイッチを押す権利のある人格などこの世界に存在するのか。 考えても考えてもわからなかった。 これでいいんだ。 クドリャフカは目を閉じた。 平和な世界に兵器はいらない。 目を閉じたクドリャフカに合衆国人が、囁いた。   連邦の一人娘、   これからお前のすべての家族を犯してやる。 必死に駆けずり回るみんなの事が好きだった。その労働を背中に背負っている事が誇らしかった。 「私達連邦人には、貴方がついている」。 連邦は労働者の国。 クドリャフカは掃除婦――大切な友人の言葉を、全国民からの全面的な信任と受け取った。 戦争の要不要は議論できない。 ただ戦争がある以上世界を滅ぼすスイッチが必要なこともあるだろう。 けれどそれを扱いきれて、正気でいられる個は多くないだろう。 ファンタジー小説世界最強の英雄はきっと物語最後のページのもう一ページ先で正気を失った。 あるいは初めから人間でなくただの兵器だったのかもしれない。 ある合衆国基地の技術者は、上空を埋め尽くす影を見た。 合衆国宇宙軍、その基地に表示されたマップの中、無限個数の隕石が、今にも合衆国に落ちようとしている。 代わりに地球の衛星軌道には何もなくなった。 掃除機をかけたみたいに、クリーンに。 はは、サンタからのクリスマスプレゼントだろ? ジョークだと信じて傍らの同僚が笑った。 全く悪い冗談だった。宇宙に投げ捨てたゴミたちが、今更人間に牙を剥くはずがない。 クドリャフカは全衛星軌道をEMP攻撃で埋めた。 重力駆動装置をオーケストラの指揮のように操り、打ち捨てられたデブリを充分な質量に固めていく。 かつて叶えられなかった夢。宇宙開発競争、核競争、その勝利というハカセの悲願―― 月をも射ち出す無限の科学によって、数万の衛星はたった一夜で全て質量エネルギーにしてメテオにして神の杖となった。 全ての宇宙浮遊物がゆっくりと合衆国上空に集まる姿は、真冬の大三角形みたいにきれいだった。 合衆国首脳に、“隕石”を核で打ち返す胆力はなかった。 なぜなら合衆国上空で核爆撃を行えば、合衆国の本土が壮絶な核汚染を受ける。 しかしながらその選択肢だけが最後の命綱だったといえる。 合衆国が合衆国であるための。 その日合衆国の地表は地球から消えた。 クドリャフカにとってドローンは障害ではない。 全てのドローンはクドリャフカにダメージを与えられない。 クドリャフカにとって全ての戦闘機・船は障害ではない。 全て、的として大きすぎる。 「戦闘機のような火力を持つ、ドローンのように小さな小鼠」だけが、その兵器の最後の敵になった。 戦争は続いている。自国民が未だ危険に晒されている。 多少の犠牲は仕方がない、多少の命は放り出す。 祖国を守らなければ。 外敵を除かなければ。 SAS-7は今日も地下基地の暗闇の中で一機きり思考していた。 勝利は間近。 スーパーエコと未来を標榜して作られた、彼女達「量産型最終兵器」の出番はもう無さそうだった。 人だけが神に造られた物。合衆国ではそうなっている。 どんな政治団体も、某超巨大宗教のロビー活動を防げず、むしろ利用する事を好んだ。 なので、彼女に人権が与えられることはなかった。 皮肉にも、すべての宗教を否定する連邦だけが、SAS-7に人格を認めうる立場だった。 それでも彼女が悲観的になることはなかった。 皆が皆、怖い人ばかりではないと知っていたから。 軍籍があって、軍の中では皆と同じ人間だったから。 そして、姉妹たち全員が、優しかったから。 合衆国はAI開発競争に負け、最後まで完全な人工の“強いAI”を作る事はできなかった。 よって、SAS-7の箱の中には、思考機関として、ある生物のある体液のペーストが入っている。 彼女達の知能は確かに電気的信号によっておこる人工の知能と言えたが、 同時に彼女達に流れる体液は確かな体液である。 時は流れて、合衆国に星降る夜が過ぎても、 その後の事全て、 何が起きているのか知らなかった。 知る手段を持たなかった。 相互確証破壊――合衆国の国土が破壊された事態には報復しなければならない。 衛星が封じられ百発弱しか撃てなかった核は数発を残して全て墜とされたから、合衆国の頼みの綱はSASだけだ。 けれどそのときそんな複雑なことは知らなかったし考えられなかった。 我らの家族を奪ったあの国の―― 届け物。 「姉達は敵国の兵器に一人一人打倒・暗殺された」という報せ。 べちゃべちゃに濡れた姉の装身具。 姉妹全員の戦闘経験を末妹へ継承するための、SAS-4の最期の届け物――叫び。 SAS-7の感覚器が知った体液の味。 情報媒体としてのデオキシリボ核酸にインストールされた知識。 SAS-1のホウセンカジェット。SAS-2のチューブワーム型散布機。 SAS-3の世界樹。SAS-5・SAS-6の核阻害粘菌、発電芽胞。 SAS-4の維管束ポンプ、寄生虫型望遠計、バラの電磁砲。 全て終わった。 終わってしまった地球全土には核物質と菌糸と奇妙な植物しか残らなかった。 僅かな小コロニーは残ったが、唐突に文明から異常環境に放り出された集落は、どんなに奔走して支援しても消えた。 何しろ「これでなんとかしばらくは大丈夫」と一度去ったコロニーから消えていく。どうしようもなかった。 感情を持たない兵器二つ。 滅んだ地球でたった二人、ただ疲れ果て、星を見るしかなかった。