銅貨一枚の高級娼婦  ~癒しの女神編~ 作者:ラファール  イフカという名の都市がある。  以前は何の変哲も無い田舎の村だったが、約70年ほど前に、地下古代遺跡への入り口が突如出現した。  そしてこの地を拠点として活動すべく、冒険者たちが集まりはじめた。  遺跡に隠された宝物はもちろんのこと、際限なく出現する魔物たちも、上質の魔石や生体素材といった富を冒険者たちに提供した。  やがて村は町に、そして王国屈指の繁栄を誇る巨大都市へと発展していった。  しかし、未だ全容の把握にほど遠いその遺跡……多階層化された巨大ダンジョンは、多くの冒険者たちの命を奪う存在でもあり続けた。  地下深く進むほど、危険で強力なモンスターが出現し、その分、得られる報酬も跳ね上がる。  実力を身につけた一握りの冒険者だけが、巨万の富を得ていった。  そんな冒険者たちの本能的な欲望を満足させるべく、イフカにはいくつもの娼館が存在した。  その中でも屈指の名店、「イライザ・ナザドゥ」は、在籍する美女と一夜を共にするのに金貨十枚を必要とする、貴族や大商人、そして上級冒険者御用達の最高級店だった。  そんな高級娼館ではあったが、まだ新米の冒険者に対して、ある特別なサービスを行っていた。  ギルドに登録してから一ヶ月以内の、しかし才能があると認められた冒険者に限り、たった一度だけ、わずか銅貨一枚で最高級娼婦が相手をするのだ。  その採算度外視サービスには、オーナーによる二つの意図が存在した。  一つが、将来、一握りながら上級冒険者となるかもしれない彼らに、常連客となってもらうための先行投資。  そしてもう一つが、死地に赴く彼らに対しての、せめてもの餞(はなむけ)だった――。  その少年……エルクは、戸惑い、混乱していた。  そもそも、歓楽街に来ること自体が初めてだったのに、その中でも最も妖美で、最も高級感あふれる店舗に足を踏み入れたのだ。  事前の申請が通り、招待状をもらえたときは、まさか自分が選ばれるとは思っておらず、慌てふためいた。  しかし、現在の挙動不審な様子は、端から見れば、異常者スレスレのものだった。  執事のような格好をした店員が、跪いて、店のシステムを説明してくれているのだから、混乱するなと言う方が無理というものだ。  そんな彼とは逆に、接待する側である店員の方は、エルクのような反応に慣れていた。  そのエルクは、案内されるまま、絵画が飾られ、高級シャンデリアが天井から吊された豪奢な廊下を、キョロキョロと落ち着き無く見渡しながら歩く。 「ここを曲がると、当店の誇る極上の娘がお待ちしております。どうぞ、ごゆっくりお遊びください」  店員はそう言って再び跪き、右手を廊下の曲がり角の方に差し出した。  彼はよく分からないまま、とりあえず示された方に向かって歩き、角を曲がると、そこには、薄く、白いドレスに身を包まれた美しい娘が、ニッコリと微笑みながら佇んでいた。 「はじめまして、本日のお相手を務めさせて頂きます、アエリアと申します。よろしくお願い致します」  笑顔を絶やさぬまま会釈をする、まだあどけなさをわずかに残す、ハーフエルフの美少女。  エルクは、事前に肖像画を見て選んでいたにもかかわらず、実物のあまりの可愛らしさに、一瞬で心を奪われてしまった――。  アエリアは、一言断りを入れてから彼と手を繋いで、そのまま自分の部屋へと案内した。  ドアを開けると、そこは、まるでおとぎ話に出てくるお姫様の部屋だった。  天蓋の付いた豪奢なベッド、磨りガラスの向こうには、浴室も見えた。  もうその時点で、彼は、本当に物語の中に入り込んだような錯覚に陥っていた。  エルクは、彼女に導かれて、ベッドに二人並ぶように腰を下ろした。 「改めまして、アエリアと申します。お客様、お名前を教えて頂いてよろしいですか?」  彼は、自分の名前を名乗った。 「エルク様……ですね。えっと、新人冒険者枠で入られたのですよね……ひょっとして、緊張されていますか? ……そうですよね。では、失礼ながら、もう少しフレンドリーな口調の方がよろしかったでしょうか?」  ただでさえ狼狽えているエルクは、その丁寧な言葉に逆に緊張していたため、砕けた言葉の方がいいと彼女に伝えた。 「はい、分かりました……えっと、エルクさんは……こういうお店、初めて、かな? ……やっぱり、そうよね……うん、そんなに緊張しなくてもいいよ。多分私たち、同い年ぐらいだと思うから、ね?」  急にフレンドリーになった彼女の口調に、若干ほっとして笑顔を見せるエルク。  そして彼は、自分が十八歳の誕生日を迎えたこと、そして明日から、迷宮探索を強制させられることを告げた。さらには、自分が孤児院出身で、将来の自由を勝ち取るためには、冒険者として成功する以外にないことも。  運命に翻弄され、将来の選択肢を狭められている自らの現状を、彼は卑下するようにそう話した。  それは、こんな高級な店になど、自分は似つかわしくないという、半ばヤケになったような気持ちも込められていた……彼女が口調を変えたことで、少しだけ本心を打ち明けられたのだ。 「そっか……うん、そうよね……私も、選択肢、あまりなかったの……私も孤児院出身だから……」  寂しげに語る美少女に、エルクは、驚いたように彼女の顔を見つめた。 「……私は、半年前に孤児院を出たの。一応、私も冒険者になることを考えていたけど、訓練の段階で無理だと思った……それで、この仕事を選んだの……だから、私の方が半年だけ孤児院の先輩、かな?」  笑顔でそう話すアエリア。  この都市の孤児院は、男子と女子で施設が異なる。なので、お互いに出会うことも、どんな仕事の選択肢があるのかも、具体的には知らなかった。  この国において、娼婦という仕事は、国家から認められた立派な職業だ。 「イライザ・ナドロルゥ」のように最高級店ともなれば、憧れを持つ女性すらいる。  しかしそれでも、一般的には女性が進んで選ぶ職業ではなかった。 「……だから、そんなに緊張しなくてもいいよ。今日は、君にとって、いい思い出を作れたらいいな……それで、立派な冒険者になったら、また会いに来て欲しいよ」  愛らしい笑顔で、人なつっこくそう話すハーフエルフの美少女に、エルクは、完全に虜になってしまった。  そして彼女から、このあとの流れを、簡単に説明された。  もう少しだけおしゃべりをしたい、という彼女の意向。  そのあと、一緒に入浴すること。  そして、その後、結ばれること……。  その内容だけで、彼は自分の心臓が早鐘を打っていることに気付いていた。  そして正直に告げる……女性とそのような経験が全くないこと、さらに言えば、さっき手を繋いだことさえ、年頃になってからは初めてだったこと……。  そんな彼の告白に、アエリアは、嬉しい、と、頬を赤らめた。  彼にとって初めての女性になれることが、とても名誉なことだ、とも。  エルクは、その言葉にも感動していた。  自分を受け入れることに対して、嫌悪感を抱くどころか、嬉しいと言ってくれているのだ。  しかし、今回彼が入店できたことは、いわば特別措置だ。  本来の価格の、千分の一……わずか銅貨一枚しか支払っていないのだ。 「……それでいいの。さっきも言ったように、いつか立派な冒険者になって、また来てくれれば……ううん、時々、私のこと、思い出してくれるだけでもいいよ」  意外な彼女の言葉に、彼はきょとんとしてしまう。 「理由? ……えっと、それは……じゃあ、お風呂に入りながら続き、お話しましょうか。この特別コース、あまり時間に余裕がないから……」  ドクン、と、彼の鼓動がさらに高まった。  ここから先は、全く未知の世界……。  わずかに頬を赤く染めながら、アエリアは彼が服を脱ぐのをサポートし、そして彼女自身も全裸になった。  小柄な体に、形の良い胸、淡く綺麗な色のその先端、そして細く、体格の割に長くて綺麗な足……。 エルクは、その美しい裸体に見とれ、そして顔が熱くなるのを感じた。 「……もう、ジロジロ見すぎよ……」  アエリアは恥ずかしそうに、両手で胸と下半身を隠す。  エルクは反射的に短く謝って、顔を逸らした。 「……ふふっ、本当は気にしてないよ。ちょっと意地悪しただけ……こっちに来て、体、洗いましょ」  全裸のハーフエルフは、悪戯っぽく笑いながら、彼の手を引いて浴室へと向かった。  まずアエリアは、糸状の水が出る不思議な道具で、エルクの汗を流した。  彼女の、若く、色白で、瑞々しい肌は、水滴をはじくように弾力に富んでいた。  彼は、自分自身、顔が赤くなっていることを自覚しながら、チラチラと彼女の裸を見てしまう。それに対し、アエリアはちょっと恥ずかしそうにするだけで、特に何も言わなかった。  そして次に、今まで体験したことのない良い香り、なめらかな泡立ちの石けんで、アエリアが丁寧に彼の体を洗ってくれた。  時折、彼女は彼の体に密着する。   そのたびに柔らかな胸が体に触れ、エルクはそれだけで興奮状態になってしまう。  経験のない彼は、慌てた様子で隠そうとしたが、それに対して彼女は、 「隠さなくていいよ……こうなってくれないと、この後、何もできないから……初めてなのに、私でこんなになってくれるのね……嬉しい……」  と、やさしく彼の手を握り、そっとどけると、その部分にやさしく直接触れた。  思わず、うっと声を漏らすエルク。 「ごめんなさい、痛かった?」   申し訳なさそうに謝るアエリアに、彼の方が慌てて首を横に振った。  初めての感触だったので驚いただけと告げると、彼女は、ゆっくり、優しく、両手で慈しむように丁寧に洗い始める。  それでも、彼には刺激が強かったようだが、アエリアは彼が暴発する手前でうまく洗い終えた。  そのあとも、時に体を寄せて肌が触れ合うように、丁寧に全身を洗っていく。  彼はその気持ちよさに、思わず目がとろんとさせてしまった。 「……よく鍛えられた体……所々傷跡もあるし……よっぽど激しい訓練、したんだね……」  アエリアが、感心したようにそう言った。  孤児院では、冒険者になることを選択した者に対して、基本的な体術や剣術を教える訓練があった。  彼はそこで真剣に学び、鍛えあげた。  その成果が、その肉体に現れていた。  それでも、と彼は語る。  自分など、熟練の冒険者とは比べものにならない、と――。  しかし、彼女は知っていた。  ギルドに登録された全ての新米冒険者が、銅貨一枚でこの店に入れるわけではない。  事前の審査にて、素質、才能があると認められる一部の者にだけ、こっそりとその資格が与えられているのだ。  その事実を、アエリアは彼に告げた。  エルクはそれを知らず……運良く、クジか何かでその資格を得たのだと思っていたようで、驚いた。  この場で告げるのは、選ばれた者に自信を与えるための、そして選ばれなかった者が自信を失わないための配慮だった。  そして、時間の関係で、本来であればもっと大胆に、時間をかけて体を洗うところを省略する。それは、次会えた時のお楽しみ……彼女はそんな小悪魔的な言葉を残して、二人でまたベッドに戻った。  そこから先は、エルクにとって、夢のような世界だった。  銅貨一枚という金額にもかかわらず、彼女は、誠心誠意、手を抜かずに尽くした。  お互いに生まれたままの姿のまま、唇を重ね、抱きしめあう。  そして彼女は彼の体を、首筋から全身を丁寧に、唇と舌で愛していく。  その部分が直接、指と唇、舌で刺激されたときは、さすがにもう持たないと彼は思ったのだが、その限界の直前で彼女は刺激を止める。  エルクは何が起こっているのかよく分からないまま、快楽に身を任せるだけだった。  そして……先にアエリアの主導で、二人は結ばれた。  彼は、温かく、やわらかく、包み込まれるような感覚に、それまでの人生で最大の快楽と、精神的な満足感を得ていた。  目の前に存在する、若いハーフエルフの美しい裸体。  今、エルクは彼女と、一時ながら本当の恋人同士のように心を通わせ、愛し合い、そしてつながっている。  それだけにとどまらず、アエリアは彼を喜ばせるために、そして自らも快楽を求めるように、その体を動かした。  そしてまたもエルクの限界が近いことを悟った彼女は、体を入れ替えて彼を導いた。  すると彼も自らの意志でアエリアを求め、本能の赴くままに体を動かした。  彼は前後に動くたびに、絡みつくような温かく、柔らかな感触がその部分を包み込むのを感じた。  さらには、彼女が漏らす吐息、連続する可憐な声をも、自分の喜びに変えていた。  そして最後にひと際激しく求め、愛し合い……そしてエルクは、望みを果たした。  心地よい疲労感の中……彼は、これほどの美少女と、濃密で感動的な時間を過ごし、思いを果たせたことに対して、彼女に感謝の言葉を贈った。  さらには、もう一度この店を訪れ、そして彼女に再会するために、金貨十枚を難なく稼げる上級冒険者になること、そしてたとえそれが果たせず、冒険の最中に命を落としたとしても、今日のことでもう悔いは残らないことを告げた。 「……死んじゃダメ……」  アエリアは、繋いだ手に力を込めて、そう言った。  彼は、戸惑った。 「……死なないで……無理しちゃ、ダメだから……私とまた会いたいって言ってくれるのは嬉しいけど、そのために、絶対に無理しないで……」  エルクは彼女の顔を見て、驚いた。  アエリアは、涙を流していた。  彼女は、知っている。  迷宮に入った新米冒険者の多くが、その経験不足のために引き際の判断を誤り、命を落としてしまうことを。 「……一時とはいえ、君と私は、結ばれた……だから、もう他人じゃない……それに、君にとって私が初めてで……それだけで悔いが残らない、なんて言っちゃダメ……生きていたらもっと楽しいこと、あるから……本当の恋愛もできるから……さっき、私が言いかけたことは、そのこと……私に会うために、無理しないで……」  エルクは、理解した。  彼女は、本気で、たった銅貨一枚しか払っていない自分なんかのことを、心配してくれていると……。  ――もう、時間が迫っていた。  アエリアは、彼に、「お守り」と称して、ペンダントをプレゼントした。  紫水晶と、アエリアの名前が刻まれた、小さな金属プレートが付いていた。  宝石としてはほとんど価値のない……しかし、彼にとっては彼女とのひとときの思い出が詰まった、最高のプレゼントだった。  アエリアとエルクは、最後に、本当の恋人同士のように……いや、本当の恋人同士として、唇を重ねた――。  服を着た二人は、部屋を出た。  最後にもう一度抱き合い、離れ、彼は軽く手を振って、彼女に見送られながら廊下の角を曲がった。  もうエルクに、ここに来るときのおどおどした様子は見られない。  少年は、この短時間の間に、青年へと成長していた。  その目は決意に満ちあふれ、迷宮に対する恐れを、冒険に対する鼓舞へと変化させていた。  そしてアエリアは、一時の恋人に対し、 「頑張って……でも、無理しないでね……」  と、小さく呟いたのだった。