*本編視聴後にご覧になってください。  左手を見てみる。細くて、白くて、男らしいとは言えない自分の手は好きじゃなかった。  そのまま薬指を撫でてみる。今は何も無い。でも、そこに嵌めるべき指輪は見なくても思い出せる。  小さく笑みが漏れる。自分にとってはあまりに自然に漏れたが、周りから見ればいかにも意味深だったろう。  そう気づいて慌てて周りを見る。幸い誰にも気づかれてないみたいだ。  ・・・・・・いや、訂正。一人だけ気づいている。ニヤニヤと笑ってこちらを見ている。  あの笑い方はきっと、自分が何をして、何を考えていたのかある程度気づいているんだろう。  見透かされてる事への恥ずかしさ、自分を理解してくれてる喜び、いつもこっちを見てる事に対する呆れ。  人間の感情は複雑だ。成分表を出せば色んな感情が綯い交ぜになっているように見えるだろう。  でも、結局は料理と一緒。色んな物が綯い交ぜになっても自覚すればそれが『良い』か『悪い』かはすぐ判る。  席を立ち、彼に近づく。一つはそのニヤニヤ笑いを止めるように、もう一つは一応の確認をする為に。 「あのさ、昼ご飯だけど・・・・・・今日はどうする?」  聞くまでもないだろうけど、一応聞いてみる。  返事はもちろん、聞くまでも無かったけど。  自分のより一回り大きな弁当箱。身体のサイズ差を考えればもっと大きくても良かったかもしれない。  足りるだろうか? そんな不安を覚えるくらい彼は勢いよく、美味しそうに食べている。 「まったく・・・美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけど、そんなにガっつかなくても良いよ?」  まるで丼でも食べてるような勢いに思わず苦笑する。  判ってる判ってると言いながらも食べる勢いは落とさない。まったく、本当に判ってるのかな? 「ちゃんと味わって欲しいんだけど? 君が弁当にはーって言うから色々用意したんだけどな」  自分の言葉にピタ、と面白いくらいに彼の動きが止まる。まるでギャグマンガみたいだ。  ゆっくりとまた動き出して口の中の物を改めて租借し、飲み込んでいる。いや、この動きわざとだ。  ごくん、とちょっとわざとらしく喉が鳴った。そして真剣な顔をして美味しいよ、だなんてさ。まったく。 「キメてるところ悪いんだけど、口の横・・・『お弁当』ついてるよ?」  自分の言葉に面白いくらいのオーバーリアクションを彼はしている。本当、そういうところだよね  今居る場所は学校、一応人気の無い場所は選んでいる。それでも人が来ないとは限らない。  自分も彼も着ているのは男子の制服だ。もし通りがかりの人がいて、自分が顔を赤くしているのでも見られてたら・・・。  彼なりの気遣いなんだろう。わざとらしい動きも、突っつきやすいミスも。  もちろん、やってて面白いからっていうのもあるんだろうけどさ。 「取って欲しいって、あのね・・・学校でそういうの言われても、その・・・困るんだけど」  とはいえ、彼だから『悪ノリ』してくる。ギリギリ男同士の悪ふざけで済む範囲にしてくれてるけど。  ただ、気遣いへの嬉しさ、彼の動きの面白さもあるけど・・・彼の掌の上みたいで悔しさもあるかな? 「・・・しょうがないな、まったく。ほら、取るから動かないでよ」  ポケットティッシュを取り出して言うと彼はわざとらしくこっちへ顔を突き出してくる。  ティッシュで取った後にきっとこう言うんだろう。「まるで恋人同士みたいだな」なんてさ。  ・・・だからたまには自分から仕返ししたって良いよね? 「取るからそのままだよ・・・ん、ちゅ・・・・・・ちゅぱ、ちゅ・・・・・・ん・・・・・・はい、取れた。ご馳走様」  口の横についたご飯粒を自分の口で『取る』。最初、彼は何をされたか判ってなかったみたいだ。  口の横、ご飯粒がついた場所を指でなぞる。そこにはしっとりと濡れてるはずだ。 「・・・はい、ストップ。君があまりにも判りやすくからかおうとしたからね、仕返しさせて貰っただけだよ」  何かを言ってくる・・・なら良いんだけど、彼の場合はノータイムで『行動』に移る事がある。  だから、かなり早めに釘を刺す。「お、おう・・・」なんて明らかにいつもと違う調子で返事をしてくる。  前々から思ってたけど、彼は好意を表すのは得意だけど、表されるのはビックリするみたいだ。  まぁ、それはきっと・・・自分がなかなか彼の好意に明確な返事をしなかったからだろうけど。  そこからの彼はまるでさっきまでとは別人のようにゆっくりと、しっかりとお弁当食べていた。  まるで借りてきた猫みたいだ、なんて軽口でも言おうかと思ったけどやめておいた。  お弁当の感想をしっかり言ってくれたし、次はこうして欲しいとか聞いておくべき話が多かった。  ・・・何より、自分の顔が赤くなってるのを指摘してこなかったしね。 「困ったなぁ・・・どうした物だろう」  放課後、今日は・・・今日も彼の家に行く。最近はほぼ毎日行っている。  彼の家のご両親は共働きで子供の頃はともかく、今はすっかり帰りが遅い。  だから何かと彼の家に入り浸ったり、彼の家で・・・そういう事をしたりしている訳なんだけど。 「・・・やっぱりまだハードル高い、かな」  ベッドの上にあるのは二組の服。片方は前から持っている、なんて事ない普通の服。  もう片方もこれといった特徴がある訳ではない。シャツ、ズボン、パーカーと普通の服だ。  ただ、見る人が見れば判るだろう。それは女性物で当たり前だけど普通は男が着る物ではない。  パっと見だと判らない。ただ、デザインや肩などのボディラインの取り方、細かく見れば違いは色々とある。  間違えて女物買っちゃったーとギリギリ言い訳出来るラインの服。見る人が見ればすぐ気づかれる物。 「・・・・・・やっぱりあっちで着替えれば良いかな」  いつもの服で行こうか、それとも女物で行くか。ううん、そもそもいつもなら迷う必要だって無い。  『普段の格好』で彼の家に行って、彼の家で『彼の彼女の服』を着る。いつもそうしてる。  なら、今日だってそうすれば良い・・・なのに、自分はこうしてどうしようか迷ってる。  今までのスカートや、明らかに女性物と判る物じゃなくてパっと見では判りづらい物を用意してくれた事。  彼は言葉にしなかったけど、それは暗に最初からその服を着て欲しいという要望なんだろう。 「・・・・・・しょうがないなぁ、もう」  迷いに迷ったけど・・・迷えるくらいの物を彼は選んでくれたんだ。  なら、それに応えるべき・・・ううん、言い訳だ。自分が彼の気持ちに応えたい。  一度全部の服を脱ぐ。当然下着も・・・そして、着替えていく。  学生の自分、幼なじみの自分、男の自分。そういった『自分』がはがれていくような恥ずかしさがある。  そして下着からまた着ていく。思いに応えたい自分、彼が好きな自分、恋人の自分。  1枚着る毎に『新しい自分』が重なっていくような不思議な感覚がする。 「あれ、サイズ大きい・・・間違えたのかな?」  最後にパーカーを着ると袖がすごい余ってる・・・いや、でも肩とかは少し余裕があるくらいだ。  こういうデザインなんだろうか? でも何というか、いかにも『女の子らしさ』があって恥ずかしいんだけど。 「・・・ああ、もう。そういう事か」  袖をまくろうとして気づいた。どうして彼が大きめのパーカーを選んでいたのか。  机の奥にしまい込んである箱を取り出して、あける。そこにあるのは・・・あの時に貰った指輪。  そして一緒に並んでいるのはあの後に改めて彼から貰ったオモチャの指輪。 「・・・ここでオモチャの方を付けていったら、どんな顔するのかな」  想像してみる・・・うん、たぶん驚くだろうけどそれはそれとして指輪を付けた時と同じようになるんだろうね。  端から見れば『オモチャ』と『本物』だけど、大事なのはそこじゃない。  自分が彼からの『指輪』を受け入れて、指に嵌めた事。大事な事は金額の多寡じゃない。  自分はそう思ってるし、彼もそう思ってるだろう。だから『指輪』をつければそこに大差はない。 「学校じゃ付けられなくて寂しかったし・・・イタズラはまた今度にしとこうか」  最後の『新しい自分』を重ねる。その『新しい自分』にまだ名前は付けられていない。  親友、幼なじみ、恋人、彼女、それとも彼氏? なんて名前か判らない・・・だから今はありのままにしておく。 「さて、そろそろ行かないとね」  時間に余裕はある。あるけど、時間は有限だ。なら少しでも彼のところへ行こう。 「君ってさ、やっぱりケダモノだよ」  彼の家につき、出迎えてくれた時はまだ冷静だった。  彼の部屋に上がり、パーカーの袖をまくって指輪を見せた瞬間に襲われた。  お互いに落ち着いたのはついさっき、身体の奥にはまだ彼の熱が残っている。 「・・・まぁ、拒否しなかった自分も悪いんだけど。家について早々だとその・・・困るんだけど?」  困る、という言葉にウソは無い。今までだって『困る』と思った時にしか言った事は無い。  そういう意味では彼ほど『困った人』は居ないだろう。こういう関係になってからは日に何度も言うようになった。 「ニヤけてるって・・・だから、そういう指摘は、その・・・困るってば」  問題は『困る』は他の感情とも両立する事。以前は困るだけだったのが今はそれが嬉しいと両立する事が多い。  嬉しければ当然顔はニヤけてしまう。困ると言いながらニヤけてれば彼のイタズラが止まるわけもない。  判ってはいる。きっと本気で怒って、本気で困れば彼は二度と『困った事』はしないだろう。  最初に告白されてすぐならそれでも良かったのかもしれない。ただ、今そうなればきっと・・・。 「・・・君はさ、彼女じゃなくて恋人として自分が欲しいんだよね?」  自分の想像をそれ以上考えたくなくて、話題を振ってみる。  自分でも何度か考えて、判らなかった事。『恋人』は判る、でも彼女でも彼氏でもないというのは何だろう?  正直に言えば自分は『男』だという意識が強い。  それは子供の頃に女装させられた事や、自分の見た目に対する反発もあるんだと思う。  ただ、そういうのを抜きにしたって自分はどうしようもなく男だ。  彼相手だからこそ身体を許すし、今なら好きだと言葉に出来るけど他の男となんて想像するだけで怖気が走る。 「正直さ、年を取れば自分だっておじさんになる訳だし、いつも女装なんてしないと思うけど良いの?」  話題そらしの為、特に考えなく言った言葉。ただ、それは言ってから自分が感じていた恐怖だと気づいた。  そうだ、今は良い。線が細くて女顔、意識はどうあれ女装すれば相応にかわいく見えるだろう。  もちろん努力をすればはある程度は維持出来るだろう。それでも年を重ねればどうにもならなくなってくる。  『それ』を考えると事後のけだるい幸福感は消えて、身体の奥からぞわぞわとした物が這い上がり始める。  失敗した、後悔しか無い。なんでこんな質問をしてしまったのだろう? 「・・・・・・あ、あはは、なんてね。まぁ、そういうのはその時になったらんぅぅ」  ただ、誤魔化すためのわざとらしい笑いも、先延ばしの為の言葉もふさがれてしまった。  彼の舌が入り込んで、自分の舌が絡め取られる。ただそれは貪られるような物ではなかった。  舌を通じて何かが溶け、それが全身へと広がっていく不思議な感覚。力が抜け、広がる何かに揺蕩いたくなる。  一分、二分、三分・・・いや、もっと短かったかもしれないし、長かったかもしれない。 「んちゅ、ちゅ・・・・・・あ、ふぁ・・・・・・ん、はぁ・・・・・・はぁ、ふぁ」  どちらにせよキスは始まりとは全く逆にまるで離れるのが名残惜しいと言わんばかりにゆっくりと唇が離れた。 「・・・えっと、ごめん。馬鹿な事言ったね・・・でも、キスのおかげで少し安心して・・・同じって、何が?」  彼が少しずつ話してくれた。同じ悩みは持っていた。いや、場合によっては自分以上に恐怖していた。  何故なら自分が『男寄り』だと知ってるからこそ、この関係が長続きしないのではという恐怖。  今でこそ情に絆され、状況に流されてこうなってるけど好きな女性でも出来たら・・・いや、それ以前にだ。  それこそ子供が欲しいと自分が思ったらこの関係は終わりだと。 「・・・それで? 君はそれについて、どういう風に答えを出したんだい?」  少し悩んでから笑うなよ、と彼は言う。笑うつもりはないけど、そんな頓珍漢な事を考えたのだろうか?  それはきっと、どこにでもある、ありふれた悩みで。別に男同士とかそんなの関係無くある普通の悩み。  年を取れば見た目が悪くなるのは男女共通、むしろ普通は女性の方が恐怖感を持っている物だろう。  子宝に恵まれず悩んでる家庭がある、それを受け入れるか、それでも諦めないかは家庭毎に違う。  誰か他に好きな人が出来るかもしれない・・・もし『普通のカップル』で起きない事なら浮気や不倫なんてないだろう。  つまりそれはみんなが悩んで当然のことで『この関係』だからで悩むことじゃない。  そう考えたら悩む為に不安を探してるような気分になって面倒になったらしい。 「・・・ぷ、あはは・・・ご、ごめんって! その、笑うなって言われたけど・・・なんだろう、らしいなぁ、ってさ」  悩む為に不安を探してた。そうかもしれない。実際に目の前にある問題と起きるかもしれない問題は別だ。  確かに備えや心の準備は必要だろうけど、不安に振り回されて自分から『そうなろう』としていたのかもしれない。 「でも、うん。最初の質問には答えて貰ってないかな。見た目の変化や女装し続ける訳じゃない事については?」  何故だろう、同じ事を聞いてるのにさっきよりも心が軽い。いや、むしろ・・・少しワクワクしている。  そうだ、彼の答えが心地良い物だったら未だ名前を付けられてない『新しい自分』もそれにしよう。 「そうだね、長年一緒にいて見た目が変わったから離婚なんてあまり聞かないね」  幼なじみ、友達、親友、彼女、彼氏、恋人・・・思いつく関係性じゃない答えを得られるならそうしよう。 「・・・ふ、ふふ・・・うん、そうだね。じゃあ、自分もそうなれるように努力しないとね」  子供がいて、親が居て、世間一般のイメージする小さくても完成された世界。  ただ、『それ』には色んな形がある。なら、決められた、世間一般的な物を求めなくても良い。  その小さな世界は自然に出来たり、書類を出したから作られる訳じゃない。  だから自分も彼と同じように『家族』になれるように、努力しよう。  それはきっと一番新しくて、一番長い付き合いになる『新しい自分』。